想元紳市ブログ

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『アブソリュートリー・ファビュラス:ザ・ムービー』

90年代から数シーズンに渡ってイギリスのBBCで放送され、とりわけゲイの間では絶大なる人気を誇るコメディドラマ『アブソリュートリー・ファビュラス』。

2016年に本国で大ヒットを記録した劇場版が、未公開だった日本でもオンデマンドで配信されていることを知り、すぐさま鑑賞した。

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主人公はPRエージェントのエディナとファッション・ディレクターのパッツィー。
おバカな中年女2人が巻き起こすハチャメチャな騒動と強烈な言動の破壊力は、やはり同時期ゲイに人気のあった『セックス・アンド・ザ・シティ』の比ではない。

酒・タバコ・ドラッグは日常のこと。実在のセレブの名を出して痛烈に皮肉る風刺や露悪趣味に溢れた過激さは、さしずめ日本なら放送禁止レベルである。

もちろん、劇場版はさらにパワーアップし、60人を超えるというセレブのカメオ出演や華やかなドラァグクィーンたちを見るだけでも楽しい。

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物語は、至ってばかばかしく単純だ。

ケイト・モスがPRを解雇したと耳にしたエディナが、契約を結ぼうとパッツィーと共にパーティーに乗り込む。ところが、バルコニーにいたケイト・モスを誤ってテムズ川に突き落としてしまい、殺人の容疑者として警察から追われるはめに……。

限りなくB級映画の面白さではあるが、至るところにゲイ的なテイストが満載。またファッション業界に多少なりとも通じていれば、散りばめられた内輪ネタも、大笑い間違いなしだ。

ちなみに邦題『ザッツ・ファビュラス!』は、あまりにも酷すぎるのでないものとした方がいい。

映画を満喫した後、パッツィーを演じたジョアンナ・ラムレイについて何気に調べていたら、2016年『Joanna Lumley’s Japan』なる3回シリーズの番組がイギリスで放送されて話題になったことを知る。

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ネットにアップロードされているの見つけ、観始めたらとても上質なドキュメンタリーで驚いた。AFファンにしてみれば、あのチープな毒舌女のパッツィーが日本を旅していると思うだけで興奮ものだ。

ジョアンナが、自ら車を運転し、新幹線に乗り、自分の足で歩き、北海道から沖縄まで何日もかけて縦断するのである。しかも、ありきたりな日本の観光地紹介ではない。

北海道ではタンチョウ鶴の群れを鑑賞し、アイヌの末裔にその歴史について尋ねる。札幌雪まつりでは、自衛隊が巨大な雪像を作っているという事実に注目し、福島では避難区域に足を踏み込む。中山道や四国の巡礼の道を実際に辿り、京都の舞妓からは本音を聞き出そうとする。戦争末期、大勢の若き兵士たちが自害したという沖縄のトンネルを歩いて思わず嗚咽する姿もみせた。

イギリスでは、熱心な社会活動により非常に影響力のある女性の一人として認知されていることを知ったが、この番組もそれに価する深い内容だった。薄っぺらい政治的発言で社会派を気取る日本の某大女優とはわけが違う。

1回45分の3回シリーズを一気に観てのめり込み、その前に観た映画のおちゃらけた内容が吹っ飛んでしまった。

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『ゲイ官能小説短編集【男たちの旅】』

電子書籍『ゲイ官能小説短編集【男たちの旅】』を配信しました。

淫らで、せつなく、ときに残酷な、男たちの旅……。
30代の男4人を主人公に、それぞれの特別な旅を描いた4つの短編。

収録作のうち、『RAIN』『高校教師の罪』『父の秘密』の3作は書き下ろし。
『真夏のライトバン』のみ、G-men222号(2014年9月号)掲載作『真夜中のひまわり』を改題加筆修正したものです。

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【各作品のあらすじ】
1.『RAIN』
札幌転勤により、遠距離恋愛になって3年。東京に暮らす恋人・英夫の度重なる浮気が発覚し、ついに深刻な話をするため羽田に向けて飛び立った慎二。30歳を過ぎてようやく目覚めた慎二にとって英夫は初めての男であり、劇的な出会いを思い出すと気持ちは揺れ動く。そんなおり、機内で、隣に座る男から露骨な挑発を受け……。
(13000字)

2.『高校教師の罪』
高校の同窓会に初めて出席するため、故郷へと向かう達郎。達郎が所属していたラグビー部の顧問だった恩師・藤堂が来賓として出席すると耳にしたからだった。達郎が今もひきずる15年前の記憶と罪とは……。
(12500字)

3.『父の秘密』
長距離トラックの運転手をしながら、男手ひとつで息子を育てた父。いつも男らしく、強く、無口で恐かった……。ようやく社会人となり、東京で一人暮らしをはじめた息子が、初めての親孝行のつもりで連れていった温泉宿で見たものは……。
(8000字)

4.『真夏のライトバン』
仕事に疲れきっていたエリートサラリーマンの洋介が偶然出会ったのは、花屋を営む純粋で無邪気な青年・健太。真夏の海へのドライブ、ライトバンの中で汗だくの交わり。干乾びていた生活が一気に潤って……。ところが、海外出張から戻った洋介が見つけたのは、閉店の貼り紙がされた空っぽの花屋だった。
(15000字)



短編とは言っても、G誌掲載時の基本が12000字前後でしたから、それぞれそれなりの文量があります。

G誌は、少なくとも携わったラスト2年を知る限り、執筆ページ数、もちろん内容に関しても、比較的自由だったと思います。自分の場合、どうしても長くなってしまいがち。そんな中で、『真夏のライトバン』(原題『真夜中のひまわり』)は最も短かった作品です。編集部からおおよそのテーマで依頼された、唯一の作品だったためです。

その他の3作は、どれも未完成だったものを、このたび、短編集形式にする上で改めて着手。

ちなみに、販売している電子書籍サイトの一つでは、表紙に入れた『高校教師の罪』の「高」の文字にぼかしが入っていました。どうやらNGワードのようです。

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ゲイ官能小説短編集【男たちの旅】

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[想元ライブラリー] の【ゲイ官能小説短編集【男たちの旅】】

■既刊分はこちら
『流刑の島』
『父と息子の裸祭』
『覗き・刺青の男』
『浪速親父の淫らな純情』
『黒潮―カツオ漁師の熱い夜』

『ムーンライト』

本命と言われていた『ラ・ラ・ランド』をおさえ、アカデミー作品賞に輝いた『ムーンライト』を鑑賞。
両方観ると、自分には疑問を挟む余地もないほど妥当な選択だったと思える。

マイアミの貧困地区に麻薬中毒の母と住む、ナイーブなゲイの少年・シャロン。
唯一の友達はケヴィン。
この2人が、少年期から20代の大人になるまでを、それぞれ3人の役者が演じていくという3部構成だ。

タレル・A・マクレイニーによるパーソナルな戯曲を、長編2作目のバリー・ジェンキンスが監督。

マクレイニーもジェンキンスも、実際のロケ地にもなった同じマイアミの貧困地区出身であり、主人公のシャロンと似たり寄ったりの家庭で育ったという根幹を共有し合っていることが、本作の大きな力となっていることは間違いない。

もっとも、ジェンキンス自身はゲイではないらしいが。

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極度に内向的でイジメの対象であり続けたシャロンが、ある事件を介し、大きく変化して登場するのが、トレヴァンテ・ローズが演じる第3部だ。

痩せてひ弱だった外見が、強面の屈強なマッチョへと見違えるような変貌を遂げている。
多くのゲイにとって、筋肉とはそもそも、内面を覆う”隠れ蓑”であり、他者と向き合うときの”仮面”であったことを、あらためて思い出させる。

外見ばかりか、仕事は麻薬の売人である。
しかし、それら表向きの顔とは裏腹に、内面は少年の頃のままであり、幼馴染から始まったケヴィンのことを想う気持ちにも変わりはない。

ここに至って、本作が一人の少年の半生を描く物語であるばかりか、実は、この上なくピュアなラブストーリーだったことに気づかされるのである。

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突然、ケヴィンからの電話で再会する2人。しばらく微妙な距離を保ちながら、やがて邂逅し、心を通わせるシーンがとてもせつない。

その意味で、個人的には、第3部が最も好きだった。

全米を代表する陸上選手だったというトレヴァンテ・ローズの武骨さと繊細さを合わせもった演技も魅力的だが、 アンドレ・ホランドが演じる成熟したケヴィンが強く印象に残る。

このケヴィンの穏やかな存在感は、救い難い展開を見せる本作を優しく照らす、言わば”光”である。

シャロン少年の人生を大きく変えることになるドラッグの売人フアンを演じ助演男優賞に輝いたマハーシャラ・アリ、母親を演じたナオミ・ハリスももちろん秀逸だったのだが、自分はどこまでも静かにケヴィンを演じ切ったホランドに軍配をあげたい。

『麦秋』

『麦秋』は、たまに観たくなる小津映画の中でも大好きな作品のひとつ。

原節子が紀子を演じる「紀子三部作」の2本目で、『晩春』『東京物語』よりもさらりとした味わいが特徴だ。

舞台は北鎌倉に居を構える間宮家。そろそろ田舎に隠居しようかと考えている老夫婦、東京の病院で医師をしている長男夫婦と二人の子供たち、同じく東京の会社勤めでまだ独身の長女という、三世代7人の大家族である。

原節子のほか、老夫婦に菅井一郎と東山千栄子、長男夫婦には笠智衆と三宅邦子と、いつもながらの常連俳優が揃う。

物語は、上司から世話された紀子の縁談を軸を展開する。嫁き遅れを心配し早く嫁がせたい兄の康一、いつにもまして言葉少ない父の周吉、相手の年齢を気にする母の志げや義姉の史子ら、それぞれの立場で紀子を思い、余計な気を回す中、当の本人はあっけらかんとしていて、嫁ぐ気があるのかすらはっきりしない。

そんな中、ある日突然、紀子は、近所に住む子持ちの男やもめ、矢部との結婚をあっさり承諾してしまう。

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間宮家は、言ってみれば、古き良き家族の理想的な姿だ。
周吉は事あるごとに、「今が一番幸せなときだ」と呟く。

しかし、誰も声高に語らぬものの、実は次男・省二の戦死が、間宮家に静かな暗い影を落としているのである。そして、紀子はおそらく無意識に、その欠落を埋めようと矢部選ぶ。

矢部は、省二を誰よりもよく知る、高校時代からの親友なのだ。

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淡島千景演じる女友達アヤから、矢部のことが好きなのかと問われて、頑なにそうじゃなく、安心できると思ったからだと答える紀子。

紀子が安心を求めるのは一概に自分のためでなく、むしろ家族のためである。それゆえ、自身の結婚と親の隠居で図らずも家族がバラバラになってしまうことに気づいた紀子は、さめざめと泣くのである。

本作の際立った特徴は、影の薄い男たちに対し、女たちが生き生きと行動的なことである。

また、作品全体をとりわけ軽やかな雰囲気にしているのは、紀子と女友達4人組のコミカルなやりとりに負うところが大きいかもしれない。

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そして、自分が何より好きなのは、紀子と義姉の関係である。

家族で唯一血のつながらない存在ながら、史子は心から紀子のことを心配し、ときに素の女同士になって語り合う。

終盤、二人がなぜかほとんど同じような服を着て、砂浜にたたずみ、並んで歩くシーンのしみじみとした美しさはため息ものだ。

どこか謎めいた二人の親密さは、家族というものに一つの問いを投げかけ、また本作が女の物語であることを象徴しているかのようである。



ミレーナ・ブスケツ『これもまた、過ぎゆく』

書評欄で見つけ、特にタイトルが気に入ってメモしてあったのが本書、『これもまた、過ぎゆく』。

スペイン在住の編集者・ジャーナリストであるミレーナ・ブスケツが小説家として発表した長編二作目だという。

ブスケツの母も、フランコ政権時代に自身の出版社を率いてリベラルな言論活動を行っていた有名な編集者。本作はその母の死に伴う喪失感、愛憎入り混じる複雑な感情を記した自伝的要素の強い小説である。

主人公は、母の葬儀を終えたばかりのバツ2のシングルマザー、ブランカ。
元夫二人、それぞれとの間にもうけた子供たち、女友達、現在の不倫相手など様々な人間関係が入り混じる日常が綴られる中で、主人公がたびたび「あなた」と二人称で呼びかける相手が、亡き母親だ。

「わたしの友だちや子どもたちの愛を全部合わせても、あなたの不在という衝撃には充分といえない。(中略)女性のほとんどは男性に父親像を探しもとめるものだというけれど、わたしはあなたを探している。あなたの生前でさえそうだった」

主人公の性的奔放さに眉をひそめる読者も少なからずいるという。

「死の反対は生ではない、性だ。そして病魔がより激しく容赦なくあなたを侵していくにつれて、わたしの性的関係も激しく容赦なくなっていった。まるで世界中のあらゆるベッドで、ただひとつ、あなたの戦いだけが展開されていたのだとでもいうように。わたしたち絶望した者は絶望的になってセックスするんだとわかりきっている」

そうして語られる主人公の恋愛観には、それなのに、なぜか共感してしまう普遍性がある。

「ラブストーリーに後退はない、恋愛関係はいつでも一方通行で後戻りできない道路だ」

「わたしたちの見るものは自分がどんな存在かを完全に表わしている。そして本能的に自分と同じものが見える人を愛する。そういう相手は即座に識別できる。(中略)わたしたちが考えることはそれほど重要ではなく、肝心なのは見えるものだ」

タイトルは中国の昔話に由来する、母の教えである。
一人の皇帝が国中の識者を集めて、”どんな状況でも必ず使える短い文を考えよ”との命令を下す。
そしてある賢者の答えが「これもまた、過ぎゆく」だったのだという。

”苦しみや悲しみは過ぎていくものよ、幸福感や満足が過ぎていくように”という母の教えを、しかし、主人公はあえて否定する。

「今、わたしはそれが真実ではないのを知っている。わたしは死ぬまであなたを失ったまま生きていく。愛着を抱くことの唯一のかたちとして、あなたはわたしの心を矢で貫いた」

終盤のこの言葉に、主人公の再生の光を自分は見た気がした。