想元紳市ブログ

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松田幸緒『中庭に面した席』

昨年のオール読物新人賞受賞作を読んだ。

老いと孤独の恐怖を、美容院に行くという、たった一日の日常の中に綴った本作。
著者の略歴を見ると、1954年生まれとあるから、すでに還暦を過ぎた女性である。

「中庭に面した席」とは、表参道にある美容室の決まった席のこと。
20年来の顧客である主人公・時子が、行くと必ず案内されて座る、お気に入りの特等席だ。
長年担当してくれているトップスタイリスト、気の付くアシスタント、決まったルーティン、あれこれ構ってもらう特別なひととき。
ところが、三ヶ月ぶりに足を運んだある日、慣れない新しいスタッフによって別の席に案内されてしまう。
心の中で苛立ち、帰宅してからもあれこれ思い悩む一日の話だ。

と言っても、別に大それた不手際や間違いがあったわけではない。
たかが、いつもと席が違った、新しいアシスタントの段取りが前とは違うといっただけのこと。
なのに、腹の中で毒づく時子が、ずいぶん意地悪な老女にも思えてくるのだが、本当の訳は後でわかる。
ラストに驚くべき事実が判明する。

時子は、閑静な郊外にある分譲地の一軒家に住んでいる。
登場する時子の家族は四人。
長男の悦夫夫婦、孫の耕太郎、大阪に嫁いだ長女の早苗。 
夫はずいぶん前に亡くなっている。

言ってみれば、絵に描いたような、ありふれてはいるがそこそこ幸せそうな家族の形。
ましてや、時子は気楽な隠居の身。
わざわざ表参道の高級美容院に通うところなど、ずいぶん優雅な老女だと言える。
ところが、そうしたものが、「すでに失われている」としたら……。

「すでに失くしていたものをもう一度、今度こそ完全に失うのだ」

「何も期待なんてしなければ、もう失うものはない。そう思っていたのに、まだ、失うものはあった」

「いつも、こうして突然、何かがなくなってみて、いままで気づきもしなかった小さな幸せが終わってしまったことがわかる」

テーマは喪失。

「中庭に面した席」も、実は、主人公がかつて慣れ親しんだ、それなのに失われたものの象徴だったことを、後で思い知らされるのである。


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