想元紳市ブログ

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リディア・デイヴィス『ほとんど記憶のない女』

話の終わり』がとても好きだったリディア・デイヴィスの短編集『ほとんど記憶のない女』を読んだ。

トータル200ページ足らずに収められた51もの短編は、わずか数行のものから30ページ程度のものまで、分量も内容も様々。
主人公さえ不明なもの、何らかのストーリーらしきものがあるもの・ないもの、小説と言うより散文詩のようなもの、メモ書きに近いもの。
背景も原因も、結末もなかったり、誰かが切れ切れの感情を思いつくまま記しただけのものも多い。

ただ、どれもがどこか奇妙な視点で切り取られた平凡な日常である。

翻訳した岸本佐知子による解説。

「彼女の書くものが小説としては壊れた形をしていて、時に何か組み立てられる前のパーツのような様相を呈している」

言わば、何かの断面にすぎない短編の、一編一編の中に記されるエピソードや物事から、読者は自由に、勝手な人生や世界を思い巡らす。

「私が興味をもつのは、つねに出来事よりも、その裏で人間が何を考え、どう意識が動くか、そのプロセスなのです」というのは、リディア・ディヴィス自身の言葉である。

好きだったのは、カウボーイとの結婚を夢想する女教師の話『大学教師』、屋敷と庭と犬二頭猫二匹の世話をする住み込み管理人の話『サン・マルタン』、焼死した叔母の恋人だった男につきまとう女の話『ノックリー氏』など。

心に残った文章を幾つか引用しておく。

「そのころの私は四六時中考えてばかりいて、考えすぎる自分にうんざりしていた。他のこともしたが、それをしているあいだも考えていた。何かを感じても、感じながら自分が感じていることについて考えていた。自分が考えていることについて考え、なぜそれを考えるのかまで考えずにいられなかった」『大学教師』

「私だって私のことを完全に知っているわけではなく、あることがらについては私よりも他の人たちのほうがよく知っているかもしれず、なのに私は私について何もかも知っていると当然のように思っていて、知っているような顔で日々を生きているだけなのかもしれない。だがたとえそうとわかったところで、私は私のことを何もかも知っているような顔で日々を生きつづけるより他にない、ただ時には他の人たちが知っていて私が知らないこととは何だろうと、あれこれ想像してみるかもしれないけれど」『ある友人』

「ちかごろ私は、自分の気分なんて大して重要ではないと考える努力をしている。今までにも何度か、本の中でそういう考え方に出会ったことはあった――自分の気分は重要だけれど、世界の中心というわけではないのだ。頭ではわかっていてもなかなか実行に移せないのは、たぶんまだ心からはそう信じていないからだ。もっと心からそう信じられるようになりたいと思う」『自分の気分』


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