想元紳市ブログ

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『ゼロ・ダーク・サーティ』

9.11同時多発テロ後のアメリカ。
オサマ・ビン・ラディンを追い続け、ついに探し当てたのは一人の女性CIA局員だった――。

2時間半、これほど緊迫感に包まれたまま観続けた映画は久しぶりである。
実話だという以上に、監督キャスリン・ビグローの冷徹な視点とリーダーシップにより、映画として、圧倒的な完成度をなし得たからにほかにならない。

主人公マヤを演じ、幾多の主演女優賞を受賞しているジェシカ・チャステイン。
最初はなんだかもどかしく、今一つ存在感も希薄だが、次第にそれが演技上計算されたものであったことがわかってくる。

ビン・ラディンの所在を特定できないまま数年が過ぎ、その間、さらなるテロによって仲間を失い、絶望し、孤立し、自らも命の危険にさらされていく中、水面下で、静かな変貌を遂げていくのである。
その姿は、使命とも、執念ともみてとれるが、映画では描かれない、もしかして生い立ちにも関係するかもしれない、彼女自身の内面にある何物かが突き動かしているとしか思えない凄みがある。

ついにビン・ラディンの居場所を突き止め、映画のタイトルでもある、深夜0:30に特殊部隊が乗り込むシーンの緊迫感は尋常ではない。

その生々しすぎるまでに迫力ある映像は、例えば、本物のベトナム戦争を描きたいとオリバー・ストーンが作った『プラトーン』を思い出させる。
しかし、『プラトーン』が最後の最後に、主人公の饒舌なモノローグによって、その意図を台無しにしてしまった失敗をビグローは繰り返さない。

マヤの顔のアップで終わる、素晴らしいエンディング。

ビグローが、前作『ハート・ロッカー』でも、最後のシーンによって映画全体に一つの意味を与えることに成功していたことを思い出す。
ビン・ラディンを追い続けるマヤの姿は、タブーとも言われたこの映画を、完成させよう苦しむビクローの姿とだぶる。

ラストにマヤが見せる複雑な表情には、ビグロー自身の微かな戸惑いが投影されているような気がしてならない。

正義のアメリカと悪のアルカイダいう図式をアメリカ人監督が描くという以上、本作品が政治的には一方向となるのは避けられない。

ビン・ラディン殺害という結末は、果たして、単純に諸手を挙げて歓喜すべきハッピーエンドだったのか……。
一瞬脳裏をよぎった疑問と、そこから生じた新たな恐怖を、マヤの表情に、自分ははっきりと見た気がした。

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