想元紳市ブログ

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『男たちの絆、アジア映画 ホモソーシャルな欲望』

四方田犬彦・斉藤綾子編の本書は、アメリカの社会学者イヴ・セジウィックの説いた「ホモソーシャル」の概念を、アジア映画という枠組みの中で捉えた7つの論文を集めたものである。

「ホモソーシャル」とは簡単に言うと、男性同士の強固な絆、女性の周縁化、ホモフォビア(同性愛恐怖)の三要素を柱とするジェンダーの概念である。「ホモセクシャル」とは表裏一体だ。

取り上げられるのは、日本の日活アクション映画、高倉健の任侠映画、中国の『三国志』や『西遊記』、『男たちの挽歌』など香港ノワール、スタンリー・クアン、韓国の『カル』など。

正直、書いてあることの半分も理解できなかったのだが、実のところ、社会学的アプローチには全く関心もない。
興味深かったのは、アン・ニ氏による映画『さらば、わが愛』に関する分析である。

同じ京劇俳優養成所で育った、女形の蝶衣と男役の小楼、二人の愛憎入り混じる半生を、文革を挟む中国激動の50年を背景に描いた傑作だ。

レスリー・チャンの演じた蝶衣のホモセクシャルについては、生来のものではなく、幼少期から他者によって押し付けられたものであるとし、次のように分析する。

「彼においては、男性として生きる願望が舞台で女性を演じるのを強要された幼少の体験とない交ぜになり、混沌とした形で交じり合い葛藤している」

例えば、養成所入団のため、母親に六本目の奇形指を切断されるシーンは、去勢の象徴だという指摘。

また、「私は女」というべき台詞を「私は男」と何度も言い間違える蝶衣に対し、怒った小楼が突然キセルを取り出し、蝶衣の口に突っ込んで血が出るまでかき回すという行為は、性行為そのものを暗示しているという指摘。

「蝶衣は死でもってはじめて、苦悩し続けた男性と女性、蝶衣と虞姫との境界線を超越できたのではなかろうか」

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さらに、それをレスリー・チャンの自殺に重ねる。

「演技上の世界の苦悩と私生活の感情問題という二重の苦しみを抱え込み、それを上手に割り切れないことが自殺の引き金になったのであれば、蝶衣をみごとに演じきったことで演技の頂点に登ったレスリー・チャンは、逆にそれによって、人生の行くべき方向を見失ってしまったのだろうか?」

もう一方の小楼について、さらに小楼の妻についての分析も、実に面白かった。

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