想元紳市ブログ

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窪美澄『ふがいない僕は空を見た』

現在、映画が公開中の原作小説を読んだ。

5編の連作からなり、冒頭の『ミクマリ』に登場する4人の脇役たちが、残り4編でそれぞれ主人公となる。

他人の目に映る姿と、当人の本当の姿はこうも違うものなのか、という普段忘れがちで当たりまえの真実が、見事に浮かび上がるのは、連作という構成以上に、著者の筆力によるところが大きい。

読み終えて思うのは、人は誰もが、他人が思っているほど不幸でも幸せでもないのかもしれない、ということだ。

『ミクマリ』の主人公は、高校一年生の斉藤。
年上の主婦あんずと不倫している。
斉藤の周りには、自宅で助産院を営む母、クラスメートの福田、斎藤に思いを寄せる松永。

アニメのコスプレをしながら繰り広げられるセックスの過激な描写とは裏腹に、揺れ動く不安定な斉藤の姿は純粋でみずみずしく、どうしようもない切なさに満ちている。

タイトルの「ふがいない」という言葉、また文中に頻繁に出てくる「やっかいなもの」など、今の生きづらく、行き詰った空気感を形容する言葉の数々に、著者独特の感性が垣間見えた。

しかし、それら後ろ向きで捉えどころない言葉が象徴する物語の根底には、それでもなお生きることへの愛おしさが流れている。

「つまり、いいことも長くは続かないということね。悪い出来事もなかなか手放さないのならずっと抱えていればいいんです。そうすれば、オセロの駒がひっくり返るように反転するときがきますよ」

神社で手を合わせる助産婦の母親は、何を祈っているのかと息子に問われて、こう答える。

「もちろんあんたも。ぜんぶの子ども。これから生まれてくる子も、生まれてこられなかった子も。生きている子も死んだ子もぜんぶ」

誰もがふがいなく、しんどそうで、苦笑いしつつ、様々なものを抱えて生き続けていくことの先に、もしかして何かがあるのかもしれない、そんな祈りにも似た思いが伝わってきた。

5人の主人公とは別に、『セイタカアワダチソウの空』に出てくる田岡という男が忘れられない。

「そんな趣味、おれが望んだわけじゃないのに、勝手にオプションつけるよな神さまって」

抗え切れない自分の性的指向によって破滅の道を歩む、田岡の人生のふがいなさは、おそらくこの小説で最も救いがないかもしれない。


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