想元紳市ブログ

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村上春樹『1Q84』

未読だった村上春樹の『1Q84』Book1とBook2を読んだ。

発売当初のマスコミの異様な熱狂ぶりになんだか引いてしまい、しばらく距離を置いていたのだった。

読み始めたきっかけは、書店でみかけた、本書のUK版とUS版ハードカバー、それぞれの装丁があまりに美しかったからである。
UK版では1Q84年の象徴的なモチーフである二つの月を、US版ではトレーシングペーパーの薄いカバーの向うに男女の顔が透けて見えるという、実に凝ったものだった。

読了後、真っ先に思い出した一節がある。
村上が愛し、翻訳も手掛けたレイモンド・カーヴァーの短編『足もとに流れる深い川』にある、この一節。

「過去はぼんやりしている。古い日々の上に薄い膜がかぶさっているみたいだ。私が経験したと思っていることが本当に私の身に起こったことかどうかさえよくわからない」

本作の読後感も、まさにこの感覚だ。
複雑な、不可思議な世界に翻弄される心地よさとでも言おうか。

1984年と1Q84年という、パラレルな二つの世界にまたがる、天吾と青豆、二人のラブストーリーであると同時に、人間の知覚や意識の脆さ、時間の不確かさを描いた哲学書のようでもある。

「私たちは自分で選んでいるような気になっているけど、実は何も選んでいないのかもしれない。それは最初からあらかじめ決まっていることで、ただ選んでいるふりをしているだけかもしれない」

村上流のスピリチュアル本として読むことも可能かもしれない。

終盤の第23章と24章は、長編を読み進めてきたものにとっては至福の、心を揺さぶられるような感動を覚えるはずだ。

特に、青豆が物語の最初の首都高速のタクシーの中に戻る描写がいい。
青豆を映画『華麗なる賭け』のフェイ・ダナウェイに例える、さりげない俗っぽさは、実は村上作品らしさでもある。

結局、読み終わっても、どこまでが現実でどこまでがフィクションなのか、何が原因で何が結果なのか、深い森の中に取り残されたままだ。

Book3は、またしばらく時間をおいてから読むことにしよう。



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