想元紳市ブログ

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『ベニスに死す』

銀座テアトルシネマにて上映中の『ベニスに死す』ニュープリントを堪能。

マーラーの交響曲第5番が流れ、ほんの微かに明るみ始めた夜の海を、黒い汽船がゆっくりと進むオープニングから、一気に叙情的な官能の世界の虜である。
風に揺れるストライプのビーチタオル、ホテルのロビーに活けられた紫陽花の花が、これほど美しいと思えるのは、ヴィスコンティの魔力以外の何物でもないだろう。

20数年ぶりに観たのだが、若い時はいかに表面的にしか観ていなかったか、ということ。
そして、当時は少年タジオの年齢に近く、間違いなく今はアシェンバッハの方に近いのだと思うと、愕然としてしまう。

それゆえか、今回は、ホモセクシャルな主題よりも、むしろ芸術と人間の相克のドラマに心魅かれた。

高名な作曲家でありながら、自身の芸術に足りないものがあることを苦悩し続けてきたアシェンバッハ。
少年タジオの存在と、彼に対する自分の感情の中に、欠けていたものの本質を、ついに発見する。

自然の造った、絶対的な美との出会い。
忍び寄る自らの死の気配の中で、理性を捨て、恍惚と忘我の境地に身をゆだねることを選ぶのだ。

一方のタジオは、アシェンバッハが自分に向ける熱い視線の存在に最初から気づいている。そればかりか、わざと視線を絡ませたりする。
タジオも同性愛的資質を持っていたからか、それとも、自分の美しさを知っている者特有の残酷な遊びなのかは、曖昧なままである。

エンディング、タジオが日暮れの砂浜で見せるポーズも不可解だ。
振り向き、左手を腰にあて、右手をまっすぐ横に伸ばして、親指と人差し指で小さな輪を作ってみせる。

それは、タジオからアシェンバッハに向けた、ある種の肯定、受容の意志表示だったと見てとれる。
あるいは、アシェンバッハの願望が見せた幻だった、とも。

アシェンバッハは、命の最後の灯を燃やすようにデッキチェアから立ち上がり、タジオに近づこうとして叶わず、砂浜に息絶えるのである。

Morte_a_Venezia_convert_20160123202401.jpg

アシェンバッハの印象的な言葉がある。

砂時計は、砂の落ちる道が狭く、最初はいつまでも上の砂が変わらずに見える。砂がなくなったことに気づくのは終わりの頃。それまでは誰も気にしない。時間が過ぎて気づいた時には既に終わっている。

アシェンバッハの死に様は、まさしくそんな死である。


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