想元紳市ブログ

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野地秩嘉『TOKYOオリンピック物語』

1964年に開催された東京オリンピックを裏で支えた人々の物語。
ノンフィクション『日本のおかま第一号』の著者、野地秩嘉の最新作である。

「本書を書いたのは新しい何かへの挑戦、そして、がむしゃらに突き進むことの意義をあらためて提示したかったからだ」

自分は60年代70年代の日本人のありように、ある種の羨望を抱いている人間である。
そうでなかったとしても、今の日本がおかれている状況を考えるとき、彼らを振り返って、得るものは大きいはずだ。

本書で取り上げられるのは、亀倉雄策らデザインチーム、データのリアルタイムシステムを作り上げた日本IBMの竹下亨、選手村の食事を準備した帝国ホテルの村上信夫、記録映画『東京オリンピック』を監督した市川崑ら。

独自のオリンピックロゴマークが製作されたのは、東京オリンピックが初めてだったらしい。
また、場所や用途を絵文字で示すピクトグラムも、本大会で初めて製作され、その後、全世界に広がった。

当時の日本の先鋭グラフィック・デザイナー10数人が集まって、3ヶ月かけてつくったのだという。
亀倉雄策をトップに、田中一光や福田繁雄など、後に日本のグラフィックデザインの黄金時代をつくるドリームチームだ。

記録映画は、当初の予定だった黒澤明に代わり、監督を務めたのが市川崑。
脚本を書いたのが詩人の谷川俊太郎。

完成した映画を観た政治家の河野一郎が「芸術的ではあるけれど、記録性をまったく無視したひどい映画」だと酷評、逆に女優の高峰秀子が市川を擁護する側に回ったりなど、賛否両論巻き起こった。

ところが、映画館で上映されるや空前の大ヒットを記録し、観客動員数は、現在でも『千と千尋の神隠し』に続き歴代2位だとは驚く。

早速、DVDで鑑賞したのだが、個人的には少々退屈だった。
今観ると、芸術的というよりむしろ記録的、前衛的だと言われたカメラワークもずいぶん色あせて見える。

当時、学生アルバイトとして、撮影のアシスタントを務めたカメラマンの言葉が印象的だ。

「東京オリンピックにいたカメラマンはみな大人でした。あの人たちはそこにいるだけでこわかった。あの頃の大人はこわかった。そんな大人たちが働く緊迫した現場でした」

デザイナーやシェフに限らず、裏を支えたスタッフの報酬はごくわずかだったという。
彼らを支えていたのは、新しく生まれ変わった日本の力を全世界に示したいという情熱に他ならなかった。

今の日本に必要なのは、そんな情熱をもった大人たちだと思うのだがどうだろう。


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