想元紳市ブログ

2017年09月 ≪  12345678910111213141516171819202122232425262728293031 ≫ 2017年11月
TOP ≫ 野地秩嘉『日本のおかま第一号』

野地秩嘉『日本のおかま第一号』

野地秩嘉のノンフィクションは、六本木の伝説的レストランを書いた『キャンティ物語』を、以前読んだことがある。
本書は、サービス業にたずさわる名もなきプロフェッショナルたちの半生を追ったもの。

キャピトル東急の靴磨き、サントリーのウィスキー・ブレンダー、ロールスロイスのトップセールスマン、新宿のキャバレー「クラブハイツ」のナンバー1ホステスなど、全九編。

表題作は日本で初めての本格的ゲイバー「やなぎ」をオープンしたお島さんのこと。

『日本のおかま第一号』というタイトルは少々誤解を招くが、ゲイなら「やなぎ」の名前ぐらいは聞いたことがあるかもしれない。

お島さんこと島田正雄は大正8年千葉の銚子生まれ。
中国で軍隊生活を送り、戦後まもなく、新橋烏森神社の境内にカレーとカツ丼を出すバー「やなぎ」をオープンする。
やがて、進駐軍のゲイ将校たちで盛況となり、人手が足らずに雇った二人の美青年が青江忠一と吉野寿男。
知る人ぞ知る、のちの青江ママと吉野ママである。
二人は独立して、銀座にそれぞれゲイバーを開き、やがて「やなぎ」も満を持して銀座八丁目に移転したのが昭和30年。

自分は、この時代のゲイバーのありように、憧憬のようなものを抱いている。

どこか秘密めいた隠れ家的な雰囲気が漂い、ゲイのみならず、当時の最先端の知識人や国内外のスターたちが隠密に足を運んだというが、おそらく、大人の、濃密な遊びが繰り広げられていたに違いない。

三島由紀夫が常連で、美輪明宏や野坂昭如がボーイとして働いていた銀座の伝説的カフェ「ブランスウィッグ」などは、究極の憧れだ。

平成元年、「やなぎ」がお島さんの病気で閉店するときのパーティーには、京マチ子らも駆けつけたという。

間違いなく、時代の文化の一端を担っていた。

その後のお島さんは、故郷の銚子で姪夫婦の世話を受けて晩年を過ごした。
亡くなったのは、平成8年、享年77歳。

生前、著者は直接話を聞こうと銚子に足を運んだそうだが、化粧をしていない顔を見せたくないという理由でついに会えなかったのだという。
そこで、お島さんの甥にあたる男性に質問した。

「家を出ていったおかまのおじさんをどうしてここまで面倒を見てあげるのですか?」

それに対する甥の言葉には、心を打たれる。

若い頃から、親族への金銭的援助や故郷への寄付を惜しまなかった、お島さんの別の顔が見えてくる。

 


追記:本作はのちに、『サービスの達人たち』に改題。
スポンサーサイト

Comment


Comment Form













非公開コメントにする
Trackback

Trackback URL