想元紳市ブログ

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団鬼六『最後の愛人』

先日亡くなった団鬼六と言えば、SM官能小説の大家だが、自分が唯一読んだことがあるのは『最後の愛人』。

自殺した24歳の愛人さくらのことを綴った、団の珍しい私小説である。

キャバクラで働くさくらと出逢ったとき、団は既に70歳を越えていた。
老齢のため完全に性的不能で、肉体関係は皆無ながら、若いさくらをのめり込むように愛する団。
彼女を外見的にも内面的にも美しく、いい女に仕上げることだけに快感を感じ、好きな男ができて嫁に行くときには仲人をする、とまで言ってさくらを悲しませる。

50歳以上歳の離れた男と女のプラトニックな恋愛である。

しかし、そんなさくらがある日突然、縊死を遂げる。

「五十代のような一本調子の悲嘆ではなく、七十代は怒涛のような悲嘆に暮れるのである」

団は、取り残された喪失と愛惜の日々を送る。

官能と快楽、放蕩の限りをつくしてきたであろう男が、老醜の中で辿り着いた境地というのが、このように美しく、純粋なものであることに、自分はある種の希望すら感じる。

そして、見事な純愛小説だと思った。

さくらが自殺した夜に見た夢は、さくらと初めて交わる性夢だった。

「さくらが霊魂となって私にやらせてくれたなど、我ながら何という浅ましい妄想が生じるのか。所詮、ポルノ作家というものはこういうものかと情けなく自分を意識したのである」

団鬼六は亡くなる直前までブログを続け、最後の記事は、4月18日、大震災のことを綴った文章である。

少し長いが引用する。

「命しかない。けれど、命がある。これが希望である。この震災で多く尊い命を失ったがここにある命はそして経験は脈々と受け継がれ大河となるだろう。希望を絶やしてはいけない。(中略)こんなときだからこそ、楽しさがなければいけない。楽しさは生きる喜びであり、希望に繋がる、と快楽主義者の私は思うのである。生きていることを実感し、共に同じひとときを分かち合うことが出来る喜びを味わおうではないかと思う。下を向いているばかりでは何も始まらない。東北にもこれから桜が咲くだろう。どんなに寒い冬でも必ず春が来るように、必ず桜は咲くように、どんなに辛い時でも、必ず日は昇る。津波や、放射能に侵された地にもやがて鳥が種を運び、花を咲かすだろう」

桜のことを記すとき、福島出身でもあった愛人さくらのことが頭をよぎったのではないだろうか。


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