想元紳市ブログ

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『浮雲』

成瀬巳喜男監督の代表作にして日本映画の金字塔『浮雲』。

戦時中、赴任先のベトナムで深い関係になった官吏の富岡とタイピストのゆき子。
富岡には日本に妻がいる。
戦後、引き揚げてきた日本で、富岡とゆき子、妻やさらに第三の女まではさんで、どうしようもない男女のやるせない関係が切々と描かれる。

巧みな回想シーンの挿入、大胆な省略による時間経過の描き方など、今観ても少しも色褪せるどころか、新鮮な驚きに満ちている。

二人を演じたのは、高峰秀子と森雅之。
女と心中した文豪有島武郎を父に持つ森雅之が、富岡という男を演じることは容易くなかったのではなかろうか。

この映画を説明するのに「メロドラマ」という言葉を使う人もいる。
が、ここに愛というものの持つ豊潤な甘さは皆無だ。
全編を通して漂っているのは、どこまでも、虚しい、絶望感。

東京の千駄ヶ谷を散歩しながら、ゆき子が富岡につぶやく。

「私たちって、行くところがないみたいね」
「そうだな、どこか遠くに行こうか」

死んでしまった心を共有しあった二人の姿は、戦後復興に向けて動き出した当時の日本の、もう一つの、裏の顔かもしれない。

彼らにできるのは、どこまでも流されて生きること。

旅先の伊香保温泉で出逢った男が言う。

「運命には逆らわないことにしてるんです」

そして、富岡は、欲望の赴くまま、その男の若い妻とすら関係を持ってしまうのである。

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終盤、富岡の新赴任地、屋久島に向かう途中の鹿児島の宿で、ゆき子が富岡に言う。

「捨てられたら、また、それはそれにして、生きていくんだわ」

「それはそれにして」という言葉の持つ、なんともいえない気だるい虚無感が辛い。

戦後を舞台に、一人の弱い男と三人の女というと、自分はアイザック・B・シンガーの小説『敵、ある愛の物語』を思い出す。

しかし、『浮雲』が製作されたのは1955年、シンガーの小説よりずっと前である。

この時代の日本映画には、こんなに成熟した大人の男女の哀しみを描く土壌があったこと、そして、それを演じることのできる俳優がいたということ、それを思うと、今の日本映画の幼さが寂しい。


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