想元紳市ブログ

2017年07月 ≪  12345678910111213141516171819202122232425262728293031 ≫ 2017年09月
TOP ≫ 江藤淳『妻と私』

江藤淳『妻と私』

本書の帯に書かれたキャッチコピーは、「愛とはかくも苛烈なのか」。

文芸評論家の故江藤淳が、末期癌で死にゆく妻を看取るまでを綴った手記である。

病室の、脇の簡易ベッドに横になりながら、妻の手を握り続ける夫。
その様子を綴った文章には胸が詰まるが、同時に、物を書く人間らしい静謐な思索に驚かされる。

「入院する前、家にいるときとは違って、このときの家内と私のあいだに流れているのは、日常的な時間ではなかった。それはいわば、生と死の時間とでもいうべきものであった。
日常的な時間のほうは、窓の外の遠くに見える首都高速道路を走る車の流れと一緒に流れている。しかし、生と死の時間のほうは、こうして家内のそばにいる限りは、果たして流れているのかどうかもよくわからない。それはあるいは、なみなみと湛えられて停滞しているのかもしれない。だが、家内と一緒にこの流れているのか停まっているのか定かではない時間のなかにいることが、何と甘美な経験であることか」

しかし、看護婦からラブラブですねと言われたことをきっかけに、江藤は考えを改める。
甘美なのは生と死の時間だからではなく、死の時間であり、妻が死に近づいている以上、自分も死に近づきつつあるのだということに。

妻の臨終後すぐに妻の指から翡翠の指輪を抜き取り、鞄にしのばせる。
その後、江藤自身が大病を患ってしまう。
やっと回復し、久しぶりに鞄の中を覗いて、見つけた指輪――。

「何だ、慶子、君はやっぱりここにいたじゃないか、ずっとぼくと一緒にいてくれたじゃないか、と言葉にならない言葉で指輪に語りかけると、涙が溢れ出てきた。私はほんの数分の間、その指輪を自分の結婚指輪の上に嵌めてみた」

哀切に満ちた手記の終わりだ。

妻の死後、なんとかこの手記を書きあげ、大学にも復職する。
ところが、半年後、江藤が選んだ道は、妻の後を追うことだった。

同様の回想記に、城山三郎の『そうか、もう君はいないのか』がある。
これを自分は一年ほど前に読んだ。
別れた恋人が、とても感動するからと薦めてくれた本だった。

 
スポンサーサイト

Comment


Comment Form













非公開コメントにする
Trackback

Trackback URL