想元紳市ブログ

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『異常性愛記録 ハレンチ』

当時の人気ゲイボーイが揃って出演しているという理由で観た、1969年公開の東映映画『異常性愛記録 ハレンチ』。

監督は、『網走番外地』シリーズで知られる石井輝男。同シリーズの大ヒットで人気監督の地位を不動にしながら、同時に『徳川女系図』などいわゆる「官能エロ・グロ系」の作品も多数製作していた。

本作もその一連の作品のひとつであるが、正直、映画としては、奇抜さと作り手たちの異様な熱量以外、観るのは辛い。

バーのママ・典子をめぐる、不倫相手でストーカーの変態親父・深畑と、誠実な建築家・吉岡の三角関係の話である。

深畑が、ゲイボーイ遊びも好きだったということから、いよいよ御一行の出番である。ゴーゴークラブらしき場所でダンスしながら、深畑にそれぞれ自己紹介して自分を売り込むという少々意味不明のシーン。

ご存じ吉野ママがその場を仕切り、青江ママら、次から次へと登場する。

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戦後すぐ、吉野ママと青江ママが働いていた、新橋烏森にあったゲイバー第一号的存在の「やなぎ」については、以前書いたこちらを参照。→野地秩嘉『日本のおかま第一号』

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吉野ママは、『網走番外地』シリーズの数作にも出演しており、その繋がりだろうか。

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カルーセル麻紀ら数々の人気ゲイボーイを輩出し、かつてパリにも店を持った銀座「青江」の青江ママは、おそらく当時の持ち芸、軍隊上がりネタをここでも披露する。

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そして、戦後のゲイシーンを綴った書物にしばしばし登場し、以前からとても興味があった、伝説のゲイボーイ、ケニー。

ここでは顔を黒く塗り、ダイアナ・ロス風のいでたちで登場するのだが、華のある美しさはやはり群を抜いている。どこを切り取っても絵になる笑顔には、確かにカリスマ性がある。

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こちら、若き日のポートレイト写真。
「青江」の一期生として人気を博し、抜群の美青年ぶりで当時その界隈で知らぬ人はいなかったという。後に、新宿のコマ劇場裏に自分の店を持つが、若くして亡くなったらしい。

鈴木清順監督の映画『暗黒の旅券』(1959年)にも出演しているらしいのだが、残念ながら観る機会がない。

今も現役の丸山(美輪)明宏、ピーターは出演していない。
ピーターは本作と同年公開の『薔薇の葬列』に主演したためか。一方の丸山も前年に映画『黒蜥蜴』に出演している。
当時の、ゲイボーイブームの一端が垣間見えるようである。

出演予定だったカルーセル麻紀は、何らかの理由で降板したらしい。深畑と実際にプレイする、カルーセルの代役を務めたのが、やはり当時人気のあったジミ―。
ジミ―も、ケニーと同じく「青江」を経て、新橋に自分の店を持ち、天井桟敷の公演にも出演していたらしい。

ちなみに、ケニー、ジミ―と続き、もう一人ハリーという有名な美少年のゲイボーイがいた。彼は、ケニーの店から独立し、中野駅北口に自身のゲイバーを持っていたらしい。


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『ベルベット・ゴールドマイン』

『デビッド・ボウイ 7つの時代』というBBCドキュメンタリーが面白く、久しぶりに『ベルベット・ゴールドマイン』を鑑賞。
最新作『キャロル』の評価が高いトッド・ヘインズだが、自分はやはり1998年の本作が最も好きである。

新聞記者のアーサーが、10年前、狂言事件をきっかけに姿を消したミュージシャン、ブライアン・スレイドの消息と事件の真相について調査を始める。

アーサーにとって、ブライアンは、同時代を生き、熱狂的ファンの一人として心酔した対象であり、まさに自らゲイに目覚めた青春そのものだった。
映画は、グラムロックが台頭する70年代ロンドンのミュージックシーンに、真相究明をする今を交えて描く。

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言うまでもなく、デビッド・ボウイがモデルのブライアン・スレイド。
同じくイギー・ポップがモデルらしいカート・ワイルドとの関係が柱だが、音楽とともに、物語のもう一つのテーマであるホモセクシャルを重層的に形作る重要な人物があと3人いる。

もちろんアーサー当人、そしてグラムロックの先駆者であるジャック・フェアリー、さらに19世紀の作家オスカー・ワイルドだ。

そもそも、映画は冒頭いきなり100年前のオスカー・ワイルドの生誕シーンから始まるのである。また、あたかもバトンのように5人の間を受け継がれるエメラルドグリーンの石の存在。

そこに暗示されているのは、リインカーネションとも、過去から脈々と流れるゲイプライド的精神とも見て取れる。

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初期のマネージャーを務めた男が、振り返って、ブライアンを形容する言葉が印象的である。

「彼は、嘘が服を着たような男だ」

嘘を、虚栄心とか強烈な自己主張と言う言葉に置き換えてもいいのではないかと思う。

先のドキュメンタリーから受けたデビッド・ボウイの印象も、まさに同じだった。決してネガティブな意味ではなく、自意識を垂れ流し続けたアーティストだったと思う。

無から生み出す天才肌ではなく、その時々に既にあった先鋭や別のアーティストから盗んだものを進化させることで、自分のスタイルを創造していったアーティストだったことは、ドキュメンタリーでもはっきり描かれている。

本作の映画化にあたって、ボウイは一切の協力を拒否した言われるが、もしかして、その本質を突かれることを好まなかったからかもしれない、と勘繰りたくなる。

ジョナサン・リース・マイヤーズとユアン・マクレガーは役柄にぴったりで、文句なく美しい。だが、アーサーを演じたクリスチャン・ベールには終始違和感を拭えなかった。劇中でのメイクもあまり似合わず、はっきり言って野暮。もちろんそういう垢抜けない役柄なのだが。

ただ、自分は、アーサーにもモデルがいると思う。
他ならぬ監督のトッド・ヘインズ自身だ。

劇中、カート・ワイルドにこんなことを言わせている。

「真のアーティストは、作品に素顔など出さない」

つまり仮面を被って顔を出すということだ。

映画のスチール写真とは別に、おそらく宣伝素材だろう、メイクしたベールとヘインズが揃って派手なフェザーで着飾ったなんとも珍妙な2ショット写真が存在しているのである。

『キャロル』で指摘したヘインズ映画の本質は、我ながら間違っていなかったと思う。

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ブライアンの妻マンディを演じたトニ・コレットのさすがの存在感も秀逸。
マンディは、紅一点の主要登場人物として、実は道化師のように物語を動かす鍵となる人物である。

 

『リリーのすべて』

1930年に世界初の性別適合手術を受けた実在のデンマーク人、リリー・エルベの半生。

エディ・レッドメインは、スリムで中性的な容姿が、まさにリリー役にぴったり。本物の女性にしか見えないという形容は、明らかに褒め過ぎだと思うものの、ギリギリの危うさがかえって独特の魅力を醸し出していることは間違いない。

妻ゲルダを演じたアリシア・ヴィキャンデルは見事にアカデミー最優秀助演女優賞を受賞。

もっとも、本作において、リリーとゲルダはほとんど同列で主人公であり、その意味で原題の『The Danish Girl』はGirlsとするのが相応しい。

もしくは、Girlとは実はゲルダであり、ゲルダこそが真の主人公だという見方もできるかもしれない。
実際、多くの観客は、リリーよりむしろゲルダの側に共感を覚えるのではないだろうか。

20世紀初頭にあって性同一性障害にうまれた苦悩は、今のそれ以上のものだっただろう。未知の危険な手術を受けるに至る勇気は、もちろん相応に称賛されてしかるべきである。
だが、性同一性障害やLGBTといった言葉が与えられるずっと昔から、彼・彼女らは確かに存在しており、リリーの状況だけが何も特別ではない。手術という選択肢すらないまま一生を耐え続けた多くの先陣たちの苦悩も、同じく悲劇的だったはずだ。

本作で、何より心を打たれるのは、夫の真の姿に直面し、その変化を受け入れ、傍で支えていく境地に至ったゲルダの強さである。

女として生きていくと割り切ったあとのリリーの豹変は驚くばかりである。
知り合ったゲイの男と会うため、喜々として外出するリリーが、家に引きこもって悩むゲルダに、なぜやりたことをやらないのかと諭すシーンは、正直、身勝手さすら覚えた。

言うまでもなく、物語のテーマは、いかに自分に正直に己の人生を生きるか、ということだ。
とするならば、ゲルダと、二人を陰で支える画商・ハンスの関係が、もう一歩明らかな形で描かれてもよかったのではないか、とも思える。

リリーのスカーフが風に飛ぶラストシーンはとても感動的だが、物語の結末含め、映画は史実をかなり脚色しているらしい。

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