想元紳市ブログ

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『悪魔のいけにえ』

今年公開40周年ということで、再び注目を浴びている『悪魔のいけにえ』。

言わずと知れた、ホラー映画の金字塔である。
すべてのスプラッター・ホラー映画は、この映画に始まり、この映画に戻ると言っても過言ではない。
リマスター版を観て、改めてその思いを強くした。

本作の特徴を一言で述べると、徹底したミニマリズムにつきると自分は思う。

ストーリーそのものも、いたって単純である。
残虐な墓地荒しと、死体損壊に揺れるテキサスの片田舎に、一台のワゴンカーに乗った5人の若者がやってくる。
メンバーの祖父の墓の確認と、祖父の廃家を探検するのがメインの目的らしい。
やがて彼らは次々と、廃家の近所に住む狂人一家の犠牲となる。

余計なものは完璧に省略され、今起こっている恐怖と、残虐な殺人行為だけをひたすら追い続ける。
過去も、理由も、動機もない。
そこにあるのは、恐怖と不条理、ただそれだけだ。

5人の若者は、車いすの兄、その妹カップル、友人カップルという間柄がわかるだけで、個人的事情は不明。
一方の狂人一家も、「レザーフェイス」と呼ばれる人面皮を被った男、その兄(あるいは弟?)、死にかけの祖父、父親なのかただの料理人なのかよくわからない中年親父の四人。

この最低限の人間関係すら、ささいな会話から推測するにすぎず、信憑性を確かめる術はない。

それでいて、ささいな日常のディテールは、徹底的にリアルで細かい。
例えば、ガソリンを譲り受けるために、持ってきたギターを担保にしたらどうか、などとどうでもいい会話が続く。
娘を助手席に拉致し、車で運ぼうとした中年親父は、照明を消すの忘れたと言って、わざわざ家に戻る。
悪の象徴「レザーフェイス」すら、ときに滑稽で、無様な仕草を見せる。

本作が、その後量産される安いスプラッター映画と決定的に違うのは、殺人鬼を、決して悪のヒーローに造形していない点である。
そのため、都合よく現場に現れたり、またたく間に追いついたり、不死身のようによみがえったり、といった人間離れしたご都合主義は見られない。

そもそも、この映画のクライマックスは、残酷な殺害シーンではなく、ラスト、長い夜が明けたあとに来る美しい朝である。

texas-chainsaw-massacre-slice_convert_20160123090009.jpg

「レザーフェイス」が、朝焼けの中、踊るようにチェーンソーを振り回す、有名なラストシーン。
それはある意味、崇高なまでに美しい、とさえ言える。

また、人骨や鳥の羽、動物の毛など、雑多なゴミが奇妙に散乱する室内の様子は、そのまま現代アートだ。
恐怖に絶叫する女の瞳のアップも同様。緑色の虹彩や白目に走る赤い血管は、まさしく美そのもの。

ニューヨーク近代美術館に、マスターテープが所蔵されたのは、まさに正当な評価である。

 


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辻原登『冬の旅』

長い旅の物語は、2008年のある日、一人の男が滋賀刑務所を出所する場面から始まる。
男の名は緒方隆雄。
五年の刑期を満期で終えたこと以外、詳しいことは語られず、大阪の町に出たところで、長い回想に入る。

回想とは言っても、単に緒方の転落の半生ではなく、緒方と多かれ少なかれ関わる何人もの人物の視点に移動し、それぞれの人生も深く描かれるから、決して一筋縄ではない。
刑務所で知り合った老人、勤めた中華料理店のバイトの青年、看護婦だった妻、ホームレスの男など……。
共通しているのは、彼ら全員がおのおのの理由で堕ちて、破滅していくということである。

そんな彼らの生き様とともに、描かれるのが実際に起こった事件や災害である。
阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、ニューヨークの9.11テロなど。
宗教や信仰は、この小説を紐解く重要なテーマであり、アメリカで起きたカルト教団による集団自殺などについても多くのページが割かれている。
実際、主人公の緒方は一時期、新興宗教の会社に身を置くのだ。

多数の視点で描かれることで主人公の姿を見失い、しばらくは戸惑った。
ときに視点が混在してしまうところなど、新人作家なら真っ先に指摘されてしまう明らかな欠点も、おそらく辻原登という大御所のネームバリューと圧倒的な筆力そのものでねじ伏せるかのごとく、物語は進む。
最終章になって、やっと2008年の現在に戻るのだが、そうして迎える結末は、予想を裏切り衝撃的ですらある。

人が挫折し、堕落していくのは、どうしてなのか。
人生につまずくとは、どういうことなのか。
緒方は自らに問いかける。

「私は別様に生きえたのに、このようにしか生きえないのは何故であるのか」

そして、

「緒方は自らの人生の巡り合わせに思いを馳せ、再びそのスタート地点を特定したくなる」

緒方が最後、たどり着いた境地に、読後しばらく茫然としてしまった。


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