想元紳市ブログ

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桜木紫乃『星々たち』

9編からなる連作短編集。

いつも通り北海道を舞台にした、9人の主人公の物語が綴られるなかで、その9人と様々な形で関わるひとりの女がいる。
女の名は塚本千春。
全編を読み終えた後、実は千春の数奇な一生を第三者の目を通して描いた一本の長編であったことに気づかされる。

見事に完結した、それぞれの短編の、ほとんど脇役でしかない千春が徐々に輪郭を帯びていく巧さは、まさに桜木紫乃の真骨頂という気がした。

最初は、少々陳腐だと思った『星々たち』というタイトルすら、実は深い意味を持っていることが終盤になってわかる。

冒頭の『ひとりワルツ』は、伊藤咲子のヒット曲『乙女のワルツ』に由来している。
主人公の名前も咲子。口癖は「咲かない咲子」。
スナックで働く咲子は、ヤマさんという訳ありの中年の男との一度の交わりと切ない恋をする。
昭和的とも、演歌的ともいえる世界は意図的に構築されたものだろう。

『逃げてきました』では、現代詩の師範である初老の男が、生徒の一人に官能的欲望を抱く。
その生徒が書いた『女体』という詩が、実に素晴らしい。

『冬向日葵』の主人公もまた初老の男。
十年以上前犯した殺人事件から逃亡し、身を偽って小さな漁村に女と暮らしている。死の床にある女の願いを叶えるために、小樽に女の一人娘を捜しに行く物語だ。

正直、どの短編も重苦しく陰鬱な雰囲気に満ちているのだが、ラストの『やや子』に見える希望と赦しに救われる。

やや子が言う。

「なんだかね、いいような気がするの。すべてが、良い方向に向いて、それぞれが自分で選択した場所で生きて死んだんだって、そう思えるの」

ちなみに、短編『案山子』の中に、明らかな間違いではないかと思う一文があるのだがどうだろう。


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『ファントム・オブ・パラダイス』

影響を受けた音楽映画の筆頭にあげる人も多いと聞く、1974年公開の隠れた名作『ファントム・オブ・パラダイス』。

その名の通り『オペラ座の怪人』をベースにした、ロック・オペラ仕立てであるが、ミュージカルというカテゴリーは自分にはしっくりこない。

主人公は、自らの楽曲を盗作され、地獄を見る無名ミュージシャンのウィンスロー。
奪ったのは大手レコード会社のカリスマ社長スワン。
フェニックスは、ウィンスローが心を寄せる新人女性歌手である。

騙されて、曲とフェニックスを奪われただけでなく、無実の罪で刑務所に入れられ、さらに脱獄の際、事故で顔面を損傷する。
仮面を被って甦ったウィンスローの復讐と愛の物語だ。

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下手するとB級怪奇映画になりかねない、奇抜なキャラクターとチープでどぎつい映像世界が、一級の作品になり得たのは、何と言っても二人の類まれなる才能の賜物である。

まずは、言うまでもなく監督のブライアン・デ・パルマ。
本作前年の『悪魔のシスター』、二年後の『キャリー』など、この監督がまだ若く、最も才気走っていた頃の作品である。
彼の代名詞である画面分割は、既にここでもみられるし、ステージと裏で仕組まれる復讐の構図は、そのまま『キャリー』に繋がっていく。

もう一人は、音楽を手掛け、さらにスワンも演じたポール・ウィリアムズ。
スワンの奇抜な存在感はもちろん、劇中の音楽の素晴らしさ。
カーペンターズの名曲の数々、バーブラ・ストライサンドの『スター誕生 愛のテーマ』の作曲家だと言えば知らぬ人はいないだろう。当時、飛ぶ鳥を落とす勢いのシンガー・ソングライターである。
とりわけ、ステージでフェニックスの歌うバラードは秀逸だ。

ロックの殿堂「パラダイス座」でのクライマックス。
ステージ上で、ウィンスローとスワンとフェニックスの壮絶なバトルが繰り広げられる中、それを観て歓喜し、熱狂する観客たちが、実はこの物語で最も怖い存在である。

70年代アメリカの世相に対する風刺と皮肉が、ひそかに隠されているのでないかと気づく。

 

『ファッションが教えてくれること』

ファッション業界を描いた2009年制作のドキュメンタリー映画。

アメリカのVOGUE名物編集長であり、ファッション・アイコンでもあるアナ・ウィンターを追った、との宣伝文句だが中身は大いに違う。
いかにアナが素晴らしい編集長かと持ちあげ、彼女の武勇伝を描いたPRビデオかと思いきや、あっさり裏切られた。

そもそも原題はずばり『9月号(The September Issue)』。
ファッション誌にとって、一年で最も重要な号である9月号が出来上がるまでの5カ月間を追ったものだ。

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もちろん、中心になるのはアナだが、ほとんど同列で、もう一人の女性がいる。
同誌のクリエイティブ・ディレクターであるグレイス・コディントン。
同列どころか、むしろグレイスこそが本当の主役ではないかと思われるほどの扱いである。

実際、グレイスは自伝を出版しているほど、全米およびファッション業界では名の知れた女性。
若い頃はVogueの表紙に起用される程のトップモデルでありながら、交通事故で顔面を負傷。何回もの整形手術の後、編集者に転身し、着実にキャリアの階段を上ってきた人物。

同期の入社だという二人の女の闘いが、ドキュメンタリーの柱だ。
それは、二人の深い相互理解の証であり、ある種の友情、あるいは戦友だと言ってもいいかもしれない。

決断力、先を見る目とビジネス的視点を持ち、雑誌を引っ張るアナに対し、芸術的側面を支えているのがグレイスである。
文字通り、編集長とクリエイティブ・ディレクターの理想的な関係でもあるわけだが、現場はもっとドロドロしていて生々しい。
オフレコではないか思えるほど、二人は露骨に衝突し、不満をもらす。
もっとも、不満をもらすのはグレイス。
それを毅然と受け止め無視するアナの、スケールの大きさ、懐の深さに、自分はむしろ感銘を受けた。
もしかして、その辺りに実はアナのしたたかなイメージ戦略があったのかもしれないと見るのは深読み過ぎるだろうか。

本作、最後の最後に、どんでん返し的おまけがついている。
ついに出来上がって店頭に並んだ9月号。
シエナ・ミラーをモデルにしたその表紙をみて、我々はあっと驚かされる。


『セッション』

舞台はニューヨークの有名音楽学校。
プロのジャズドラマーを目指す青年ニーマンと、常軌を逸した鬼教師のフレッチャー。
フレッチャーの指導は過激を極め、ほとんど狂気すら帯びている。
人格を徹底的に否定する激しい罵倒は日常茶飯事。体罰すら厭わない。圧倒的な力で君臨する暴君ぶりに、生徒たちはみな縮み上がっている。
そんなフレッチャーに、ニーマンは必死に食い下がる。
否応なく、精神的に破綻するところまで追い詰められていく。

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手に汗握る展開で、緊迫感溢れる、二人の闘いのドラマである。
それは、教師と生徒の葛藤などという生半可なものではない。
エゴとエゴの衝突であり、綺麗事ではすまされない人間の汚さ、醜悪さすら激しく露呈して、血を流す。

日本の生温い人間関係にどっぷりと浸かっていると、この厳しさは目をそむけたくなるにちがいない。
アメリカの音楽業界、ひいては個人主義の本質というものが、いかに厳しい競争と弱肉強食の土壌に根付いているかということをまざまざと見せつけられるのだ。

物語は次第に波乱の様相を見せる。
ある事件がきっかけで、一つの結末に至るのだが、二人の本当の闘いはそこから始まる。
そして、どんでん返しとも言える、戦慄のクライマックス。

本作の素晴らしさは、このクライマックスに、壮絶なまでに、音楽的な至福を重ねたことだ。
映画が終わるギリギリのラスト一分でとうとう二人が辿り着く境地。
それを説明的な台詞や叙情的展開を一切無くし、ひたすら音楽そのもので見せた監督の演出は見事という他ない。
二人の目のアップは、深く心に突き刺さった。

フレッチャーを演じ、賞を総なめしたJ・K・シモンズ。
過去も家族も一切描かれない、冷酷な人格の裏側に、ほのかに隠し持つ弱さを匂わせ、フレッチャーを生身の人間に仕たて上げた。

 

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