想元紳市ブログ

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李碧華『さらば、わが愛 ―覇王別姫―』

1993年公開の中国映画『さらば、わが愛 ―覇王別姫―』の原作を読んだ。

同じ京劇一座で育った、女形の蝶衣と男役の小楼。
二人の愛憎入り混じる数奇な半生を、日中戦争、毛沢東革命、文革を挟む中国激動の五十年を背景に、さらに京劇の演目『覇王別姫』に重ね合わせて描く。

映画はチェン・カイコー監督の代表作である。
蝶衣を演じた故レスリー・チャンの、魂が乗り移ったかのような迫真の演技で、圧倒的な感動を残した傑作であることは、今更説明するまでもないだろう。

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映画の脚本も、原作者の李碧華が執筆している。

あとがきで知ったのだが、元々は、1981年に2時間のテレビドラマ用に書かれたシナリオだった。85年に小説化され、92年に改稿されたものが本書であり、映画化作品の原作となった。

改稿は、彼女自身がシナリオを担当した映画『ルージュ』で京劇役者に扮したレスリー・チャンを観て衝撃を受け、着手したものらしい。

つまり、新たに息を吹き込まれた蝶衣には、レスリー自身のイメージがはっきりと投影されているのである。
映画が原作よりずっと色鮮やかで鮮烈なのは、蝶衣とレスリーに纏わるそんな運命的繋がりに、一つの理由があるのだろう。

とはいえ、原作には読み物ゆえの面白さがある。
例えば冒頭の、次のような文章の魅力。

「娼婦に心なく、役者に道義なしと人は言う。娼婦はベッドで情あるふりを装って生計をたてねばならず、役者がふんぞりかえって舞台を歩き回るとき、彼は聖人君子のかがみかもしれない」

「つまるところ、人生は劇にほかならない。(中略)もちろん、わたしたち観客は劇場から出ていくことができる。だが演者にその自由はない。幕が上がれば、初めから終わりまでその役をつとめなくてはならないのだ」

格調高い文章に、見事に物語の主題と結末が予感されているのである。

映画ではラスト、12年ぶりに再会した二人が再び『覇王別姫』を演じ、蝶衣が虞姫のごとく自死を選んだのか、と微かに匂わせて幕は閉じるが、原作は幾分異なる。

まず、決別していた二人が12年ぶりに再会する経緯が描かれる。
小楼は、文革で全てを失い、役者をやめ、香港に一人流れ着いている。
一方の蝶衣はしぶとく役者を続け、香港には一座の巡業でやってくるのだ。
そして、最後の自死は、ただの芝居だったとあっさり暴露される。
「わたしは昔から虞姫になりたかったのだ」と言い、蝶衣は北京に帰っていくのである。

映画は確かにドラマチックだったが、小説の方がはるかに深い示唆に満ちているのは確か。

「憎しみには幾千もの原因があるが、愛はその本質において不合理なのだ」

こうした一文も、現実的な結末だからこそ意味を持ってくる。

 

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『アメリカン・ハッスル』

すでに始まった今年のアメリカの映画賞レースを席巻している『アメリカン・ハッスル』。

舞台は1970年代終わりのニューヨーク。

ハゲを安いカツラで隠し、見苦しく腹の出っ張った詐欺師、クリスチャン・ベイル。
詐欺の相棒をかつぐセクシーな愛人、エイミー・アダムス。
二人を利用し、おとり捜査を企むFBI捜査官がブラッドリー・クーパー。
カジノ利権と闇社会に通じた市長、ジェレミー・レナー。
情緒不安定な詐欺師の悪妻がジェニファー・ローレンス。

若手から中堅の、今アメリカで最もホットな役者が勢揃いし、それぞれどこかイタイ、過剰な大人たちをゴージャスに演じる。

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5人とも、そこそこに腹黒くしたたかだが、ときに無様で情けない顔をさらし、誰ひとりとして憎めない。

中でも、70年代モードに身を包み、ビッチな女ぶりを発散させたかと思うと、スッピン顔で激しく弱さをさらけ出すなど、強烈な落差を魅力に変えたエイミー・アダムス。
彼女に完全に華を奪われそうなところ、敢えて張り合い、自由奔放さと下品さで見事に輝いてみせたジェニファー・ローレンスは、さすが昨年の若きアカデミー主演女優だ。

「人というものは、ときには悪い道を選ばざるをえないときがある」という人生に、ある意味屈服したともいえる落伍者の美学は、今の時代、逆に魅力的である。

デカダンともアナーキーともいえる極彩色の世界は、滑稽だが人間的な魅力に溢れている。

さらに、ファーやゴールドなど、70年代のグラマラスな風俗やファッション、数々の懐かしいポップスの名曲が散りばめられて、物語をクールに彩る。

著名な映画評論家の何人かが、揃って映画『アルゴ』を引き合いに出しているが、自分にはぴんとこない。
彼らの企みが果たして成功するか、というストーリー自体にたいして面白さはなく、そのことで振り回される彼らのどぎつい人間模様そのものを楽しむ映画だからだ。

その意味で、自分はむしろ、ドラマチックなスペインポップスに乗せ、エキセントリックな男女が過剰な行動を繰り広げる、アルモドバル初期のコメディー映画を思い出した。

 
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