想元紳市ブログ

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林真理子『野心のすすめ』

今年のベストセラーのひとつ、林真理子著『野心のすすめ』。

『ルンルンを買っておうちに帰ろう』で衝撃的なデビューを果たしたのが1982年。

デビュー当時のことを綴った「はじめに」を読むと、30年たっても、彼女の立ち位置は見事なまでにぶれがないことがわかる。
本書は、デビュー作に対する、30年後のアンサーブックとも読めるかもしれない。

例えば、次のような一文。

「挑戦してたとえ失敗したとしても、世の中はほどほどの不幸とほどほどの幸福で成り立っていると達観する知恵者の域にまで達することができれば、もはやそれは『不幸』ではない。野心の達人が至る境地といっていいでしょう」

来年還暦を迎えるという年齢だからこそ、辿り着いた境地だろう。

本書は、表向きは若者に、実質的には、30代から50代の女性に向けて書かれたものだ。
特に後半は、そうした読者層に絞った内容ゆえ、少々退屈。

それでも、最終章で、こんな一文に出会った。

「自分はこういう人生を送りたいという目標を決めたら、歯を食いしばってでも頑張ってみることです。野心が山登りだとすると、少し登り始めると、頂上がどんなに遠いかがわかってくる。少しクラッとするような場所まで来て、下を覗いてみると、登山口の駐車場でみんなが無邪気にキャッキャッ楽しそうに群れている。でも、自分はぜったいその場所にはもう下りたくないと思う。(中略)なぜ、わざわざ辛い思いをしてまで山登りを続けられるのでしょうか。それは、必死で登って来た場所から見る景色があまりに美しく、素晴らしい眺めを自分の力で手に入れて味わう満足感と幸福をすでに一度知ってしまったからです」

彼女の読者は、ほとんどが女性だと思われるが、ゲイも少なからずいるのではないだろうか。
と言っても、40代前後のゲイに限定される、とは思うが。


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『ハッシュパピー バスタブ島の少女』

無名の監督が、低予算で、しかも素人の少女を主人公に抜擢し作った映画が、いきなりアカデミー賞ノミネートの快挙。

『ハッシュパピー バスタブ島の少女』は、現実と妄想が美しく融合したファンタジー映画だ。
描かれるのは自然と人間の共存、生命の逞しさなど壮大なパワーに満ち溢れている。

舞台はアメリカ南部の河川敷に広がる低地帯。
貧しいながら、自然をそのまま受け入れ、コミュニティーを形成し暮らしている人々。
6歳の少女の名はハッシュパピー。
母はどうやら失踪し、父と二人でトタン家に住んでいる。

学校の教師が教えるのは、文字や計算ではなく、人間は自然のちっぽけな一部に過ぎないということ。

「動物はみな肉で出来ています。私も肉、あんたたちのお尻も肉。世界というバイキング会場の料理にすぎないの」

余命わずかの父が不器用に教えるのは、そんな自然の中でいかに一人、強く生きていくかということだけだ。

ハッシュパピーの妄想に現れる、太古に絶滅した尖った角の野獣は、自然の大いなる力や脅威そのものの化身だろうか。

ある日、村は巨大なハリケーンに襲われて水没、壊滅状態に。
役所によって強制的に避難所に退去させられる。
ハッシュパピーは、清潔で真っ白な避難所を「水のない水槽のようなもの」だと思う。
やがて彼らは、施設が嫌で逃亡を企てる。

過酷な現実の中で、少女の魂は旅を続け、一歩ずつ踏みしめながら成長していく。
そして、恐れていた野獣が、実は自分の内にあるものだと気づいたとき、大きな力を獲得するのである。

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死んだ父を葬送するハッシュパピー。
人間の死とは、彼らにとって「川のほとりに立ち、船を見送るようなもの。見えなくなっても消えてなくなるわけではない」ということ。

ラスト、ハッシュパピーを先頭に、今にも水没しそうな道を行進する人々の姿は、自然の一部にすぎない人間の、だからこそ尊い人間賛美に溢れている。


剛しいら『座布団』『花扇』

知る人ぞ知るBL小説の名作、剛しいら著『座布団』と『花扇』。

今のBL主流のファンタジー小説は全く受け付けないのだが、これは一般の小説と比べても遜色ない筆力と展開で一気に読ませる。

三九亭初助と弟子である三九亭感謝を中心に、古典落語の世界を描いた連作集である。
人気真打ちとなった感謝が、今は亡き師匠の初助を思い出すという設定で、物語は展開する。

揃って容姿自慢が売りの三九亭一門。
落語に生涯を捧げ、男遊びは芸の肥やし、一生独り者を貫いたかに見える初助。
感謝は、今やテレビでも活躍する人気噺家。
かつての弟弟子で、今は家業の植木屋を継いでいる寒也とは長いパートナーの間柄だ。

まずBL云々の前に、昭和という時代、東京下町で繰り広げられる、古典落語の世界そのものが見事に再現される面白さ。
男にまつわるミステリアスな初助の過去、そして感謝と寒也の夫婦っぷりも、そんな世界感の中で描かれるので、ファンタジーとは無縁のリアリティを持って迫ってくる。

師匠と弟子の関係……、自ら師匠になって初めてわかる、かつての師匠の思い。
共に肉親の縁薄い二人の、寡黙な子弟の絆は全編を貫く柱である。

『花扇』『枕』『夫婦茶碗』の三編だけが初助の視点に移り、スピンオフ的な短編になっている。
描かれるのは初助の過去、初助が貫いた真実の愛の物語だ。

とりわけラストの『夫婦茶碗』の中で綴られる初助と男の最後の日々には、どうしようもなく目頭が熱くなってしまった。

「『銀さん…人生なんて高座みたいなもんですよ。さっと座って、賑やかにやって、笑わせて泣かせて静かに降りる。あたしは銀さんの噺を、最後まで聞きたい。四十男が泣いてもみっともないばかりだから、何があっても取り乱して泣いたりはしないから』
『泣いても初助は綺麗だ。最後に泣くと分かっていても、それでも俺といたいのか…』
『一人で笑うて暮らすより、二人、涙で暮らしたい…』
口にした途端、初助は泣きそうになった。
けれど年を無駄に重ねていない。涙はさらりと笑顔に化けた」

また、こんなシーン。

「『歳は忘れました。ついでに嫌なこともみんな忘れました。銀さん、どうせなら、面白、可笑しく暮らしていきましょうよ』
『そうだな。面白、可笑しく…』
だがもう大口を開いて笑える歳ではない。静かに微笑むくらいが関の山だ。
だから二人はただ口元を緩める。
笑っているのか、涙を堪えているのか、どちらともつかない顔になっていた」

まだ若い二人ではなく、それぞれ幾多の紆余曲折と波乱の半生を送ってきたいい歳の男二人だからこそ、しみじみとした時間がこの上もなく愛おしく思えてくる。

BL小説に出てくる男には、一度も魅力を感じたことはないのだが、この銀さんこと寺田だけは、ゲイ当人から見ても実に魅力溢れるいい男である。

 

『ミラノ、愛に生きる』

息子の親友との不倫に走る大富豪マダムを描いたイタリア映画。

ラグジュアリーブランドが製作に関与しているだけあって、映像や音楽は洗練を極めている。
また、ミラノという都市の持つ独特の冷たさや寂寥感が見事に表現されており、それだけでも鑑賞に値する。

主人公のエンマは、繊維で財をなしたミラノの大富豪レッキ家の御曹司に見初められ、嫁いできたロシア人女性。
今や成人した三人の子を持ち、夫との関係も悪くない。
すっかり上流階級の生活に溶け込んでいるように見える。
大邸宅で開かれる豪華な食事シーンは、さながらヴィスコンティの世界だ。

しかし、このレッキ家、よくよく観察すると実に様々な不協和音があちらこちらから聞こえてくる。

最初の食事のシーンで、義父から経営をエンマの夫と長男に譲ることが発表されるのだが、なぜか、義父の死後数ヶ月で、会社はグローバル資本に売却される。

母親似の長男と父親似の次男の間に何らかの確執があること。

明らかにマザコンの長男は、心優しいが精神的にひ弱な理想主義者で、そのことを父や弟から疎まれていること。

ロンドンに留学している長女はレズビアンであり、知るのは家族のごく一部。

典型的なミラノマダムである義母が時折見せる冷ややかな眼差し。

当のエンマ自身も、一筋縄では語れそうもない何やら底知れぬ闇を抱えている。
ミラノに来てから一度もロシアに帰っていないというのも、深い事情がありそうだ。
さらにエンマという名も夫がつけた名前で、本当のロシア名は最後まで明かされないまま。

エンマが幸せだったのか、不幸だったのか、その辺りははっきり描かれるわけではない。
だが、単に閉鎖的な上流階級の生活から欲求不満と孤独を抱えていた女、とだけ決めつけるのは表面的過ぎる気がする。

家族の中ではレズビアンの娘だけが唯一、自己を解放する存在。
兄から「幸せそうだね」と言われてこう答える。

「幸せという言葉は誰かを不幸にするわ」

「幸せ」と「不幸」は、一瞬にして入れ替わるカードの表と裏であることを娘は知っているのだ。

エンマの不倫は、その常として、ある悲劇をもたらす。

ついにエンマが家を出るラストシーンが素晴らしい。
呆然と立ちすくむ家族の面々、しかし、その表情には何やら複雑な裏の思いが見え隠れする。

さらに、長らく家族に仕えてきたメイドの一人が、ここで驚くべき行動をみせる。
今までただ従順に仕えてきたようで、実はエンマの本質をしっかり見抜いていたことが明らかになる。

エンマを演じたティルダ・スウィントンの圧倒的存在感。
衣装は、全てラフ・シモンズのデザインしたジル・サンダーで、ジュエリーはダミアーニ。
さすが、ファッション界でもアイコン的存在らしく、完璧な着こなしに息をのむ。

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また、義母を演じた懐かしいマリサ・ベレンスンのミラノ・マダムぶりも見ものである。

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『バグジー』

「バグジー」とは、第二次大戦前後のアメリカで暗躍した実在のマフィア、ベンジャミン・シーガルのあだ名である。
現在のラスベガス繁栄の礎を作った人物だと言われるが、バグジーが蔑称であることからわかる通り、破天荒な性格で愛されもしたが、敵も多かった。

映画は、彼の波乱に満ちた半生に、女優ヴァージニア・ヒルとの恋愛を絡めて描く。

「人々の夢はセックス、恋、金、冒険だ。俺はそんなホテルを建ててみせる、ラスベガスに」

当時何もなかった砂漠に、今も現存する第一号カジノホテル「フラミンゴ」を作ることに情熱を傾けた彼の生き様そのものが、まさにこの四つの言葉で象徴される。

感情のコントロールができず、嫉妬深く、頑固だが正直で可愛らしく、お洒落でハンサムだったバグジー。
やんちゃでチャーミングな魅力がウォーレン・ベイティにぴったりだ。

かなりロマンチックに脚色されたラブ・ストーリー仕立ては、好みの分かれるところ。
二人の関係は大胆に美化されており、それは本作で共演し、翌年結婚する、ウォーレン・ベイティとアネット・ベニングの意向が反映しているように思えてならない。

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フィクションだとわかっていても、とりわけ素晴らしいのがラストシーンだ。

莫大に膨らんだ建設費、開業当初の不入り、またヴァージニアが金を横領したことで、バグジーは窮地に陥り暗殺される。

バグジーの死を知らされたときのアネット・ベニングの演技は必見。
泣き叫ぶわけでもなく、ただ長い無言の後、やがてすっと席を立ち、一人呆然とカジノを通って外に出る。
吹き荒れる砂混じりの強風に、美しい水色のロングドレスがはためき、カメラが引いていくと、そこは砂漠のど真ん中……。
ヴァージニアの女優時代のあだ名から命名された「フラミンゴ」のネオンサインだけが虚しく点滅しているその上に後日談がかぶる。

「600万ドルで始まったバグジーの夢は、1991年までに1000億ドルの収入をもたらしている」

ハグジーのロマン溢れる夢が、死後見事に結実したことに、切なさを拭えない。

エンニオ・モリコーネの控えめな音楽も素晴らしく、これぞまさしく映画、という名シーンだ。

ラスベガスを舞台にした映画では、他に『カジノ』と『リービング・ラスベガス』が自分の好みである。
欲望と虚飾に彩られたこの街には、破滅していく男と女の物語がよく似合う。

 
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