想元紳市ブログ

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『きっと、うまくいく』

話題のインド映画『きっと、うまくいく』。

映画大国インドで歴代興行収入No.1の記録を達成したのだという。

3時間近い長さを一瞬たりとも感じさせない、スピード感のあるてんこ盛りの展開。
それでいて、観客を見事に喜怒哀楽の感情の渦に巻き込んでいく、極上のエンターティメントだ。

冒頭、離陸した飛行機を仮病を使ってUターンさせてしまうほどにも、また、ズボンを履くのも忘れて家を飛び出してしまうほどにも、二人の男を動揺させ、先を急がせたのは何なのか、と観客にいきなり疑問を抱かせて映画は始まる。

二人を呼び出した男は、大学の卒業式以来行方をくらました親友ランチョーの居場所を知っているというのだ。

映画は、車でランチョーに会いに行く道すがらの現在と、10年前、名門工科大学で3人が巻き起こすドタバタ騒動を並行して描いていく。

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原題は “3 idiots”、 三人のバカ。
頭がよく型破りなほど行動的なランチョー、技術者より動物写真家になりたいファラン、貧乏で気が弱くなんでも神頼みのラジュー。

権威を振り回す意地悪な学長やその美人の娘、悪だくみをする学友など、勧善懲悪のわかりやすい登場人物の繰り広げる騒動は、ステレオタイプと予定調和だと言えなくもない。だが、それすら取るに足らない些細なことに思えてしまうのは、ひとえに映画の持つパワー、そして製作陣のプロフェッショナルな手腕による。

15分毎に小さな起承転結があり、そして大きな起承転結で大団円へと流れ込んでいく緻密な構成と、ジェットコースター的な展開の中で、終始貫らぬかれるのが、主人公ランチョーの楽観主義である。
台詞や劇中歌で何度も繰り返される「きっと、うまくいく」という、底抜けに前向きな生き方が、観客の心に響かないわけがない。
やがて、その裏側には、誰にも話せない深い事情が横たわっていることが判明するのだが……。

なんら根拠のない楽観性は、60年代前後の日本の喜劇映画に流れていた能天気さを想起させる。
高度経済成長期、誰もが前を向いて笑い、夢を信じて突っ走ることのできたあの時代を、今のインドは享受しているのかもしれない。

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ボリウッド映画の華とも言える、ミュージカルシーンの数々は、とにかくキュートであでやか。
色彩豊かで贅沢なセット、画面をキラキラと舞う星、インド・ポップミュージックにぴったり合った独特のダンスだけでも観て損はない。

インド系男子の容姿は正直苦手なのだが、主人公を演じたアーミル・カーンだけは、顔もマッチョな肉体も、実にセクシーで魅力的だと思った。
どうやら、インドでは押しも押されぬ大スターらしい。

 
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『マツコ・デラックス“生きる”を語る』

今月、NHKで複数回に渡って特集しているセクシャル・マイノリティーについての番組。
その目玉とも言うべきハートネットTV『マツコ・デラックス“生きる”を語る』を観た。

マツコが憧れの女性の一人だと公言する、元NHKアナウンサー加賀美幸子をインタビュアーに迎えての対談30分。
自身のセクシュアリティーについて、生き方について、難しいと言いつつも真摯に何とか言葉で説明しようと試みるマツコは、他の番組で見る毒舌と本音と皮肉に満ちた姿とは一味違う。

前半は子供時代と家族について。
後半はマイノリティーとして生きることについて。

人は他人を真には理解しえない、人間は「男」「女」というだけの単純なものではないということを理解してくれさえすればいいというスタンスは、いわゆるゲイリブ的な立場とは一線を画す大人の良識を感じさせる。

特に、孤独と死について語ったくだりは、100%共感する。

「誰かのために生きたという気持ちを持って死ぬのと、自分のためだけに生きたと思って死ぬのでは、全然ちがうのではないかと思う。結婚とは、お互いに支え合って生きていくということの血判状のようなもの。それが自分にはない。子育てをしたというだけで、その人は世の中に貢献したと堂々と言っていいと思う。しかし、それも自分にはない。だとしたら、パートナーも子供も持たない自分にとって、それらに代わるものはなんだろうと考えてしまう」

今や、日本のテレビ業界で、頂点を極めたとも言ってもいい活躍ぶり。
マツコはしばしば「テレビに魂を売った」と自虐するが、その意味するところは実はとても誠実なものである。

民放ゴールデンタイムで看板を張るということは、言いたいことも言えず、逆に、主義に反しようと言いたくもないことを言って、様々な妥協と迎合をしなければならないということは言うまでもなく当然。
そのことのストレスと呵責を人一倍感じているのはマツコ自身だと思う。

おそらく、マツコが最も素に近い顔を晒しているのは、世に出る契機にもなった『5時に夢中!』である。
この番組のマツコは、毒舌を通り越して、ときにあからさまに不機嫌。
それは例えば、実家に帰ったとき、やたらと身内に不機嫌に接してしまう感じに似ている気がする。

全国ネットの人気番組における、愛想笑いや迎合、媚びを、誰も責めることはできない。

本人の打算とはかけ離れたところで、周囲によって知らず知らずのうちに前面に押し出されてしまっていることに気づいた時、マツコは、もちろん食っていくための仕事として、サービス業に徹することで自分に折り合いをつけたのだと思う。

とはいえ、ゲイとして、幸か不幸か、社会に対しこれだけの発信力を手にしてしまった今。
これからはタブーと言われていることにも切り込んでいってもらいたいと思うが、それは一視聴者にすぎない傍観者の身勝手な願望だろう。

『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命』

ブルーバレンタイン』が素晴らしかったデレク・シアンフランス監督の最新作。

『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ』とは、物語の舞台になる「スケネクタディ」というアメリカ東部ニューヨーク州にある町の名を英訳したものだ。
さらに和訳すると「松林の向こう側」。

典型的なアメリカの田舎町で繰り広げられる二組の家族の15年。
途中、主人公が二度入れ替わる、言わば三部構成になっている。

まず第一部の主役は、オートバイのスタントマン、ルーク。
移動遊園地と共に各地を移動しながら自由気ままに暮らす流れ者のルークは、久しぶりに訪れたスケネクタディで、かつて関係した女ロミーナと再会する。1歳の息子が自分の子であることを知り、人生をやり直す決心をする。
生活のため、銀行強盗に手を染めていくが、逃走の最中に一人の新人警官エイヴリーに射殺される。

そして第二部では、一躍英雄となった、エイヴリーが主役となる。
ロミーナ母子の弱みにつけ込む、同僚の悪徳警官らの汚職に巻き込まれそうになるものの、判事である父の力も借りて内部告発に踏み切る。結果、さらなる上の地位へと上り詰める。

それから15年後、主人公はルークの遺児ジェイソンに。
ジェイソンとエイヴリーの一人息子が偶然高校で出会うことから、過去への扉が開く。

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お金、銃、暴力、麻薬、汚職……。
三つの物語を紡ぐこれらキーワードから浮かび上がるのは、アメリカという国の抱える暗部である。
世界の警察として君臨し、偽善に満ちた正義を振りかざすこの国の、言わば裏の顔を凝縮した町がスケネクタディであり、監督がわざわざ町の名をタイトルした意味もここにある。

つまり、彼らはみな、国家の表向きの繁栄と権力の謳歌が生み出した犠牲者たちだ、という見方もできる。

もうひとつ、重要なのは、いかにもアメリカ的な父と子の関係である。

その際、自分が真っ先に思い浮かべるのは、三代に渡って拳銃自殺を遂げている、アメリカのマッチョな男性像を体現するヘミングウェイ家の男たちだ。

強い父性への憧れは、アメリカ社会を紐解く重要なキーワードの一つであり、本作でも、意図的に母の影を薄くし、父子関係にスポットライトが当てられるのは全く偶然ではない。

映画は、父の背を追うように、オートバイに乗り町を出るくジェイソンの後姿で終わるが、その先に楽園が拡がっているわけではない。

幾つ山を越えようが、そこはまだ広大なアメリカという国の一部に過ぎないのだから。

 

『死ぬまでにしたい10のこと』

イザベル・コイシェ監督、ペドロ・アルモドバル製作、サラ・ポーリー主演『死ぬまでにしたい10のこと』。
同じ3人で作った『あなたになら言える秘密のこと』の前作にあたる作品だ。

ナイーブで繊細なモノローグ、声高に語られない裏事情、国際色豊かな音楽と抒情溢れるシーンなど、両作品において共通している。

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夫、娘二人と共にトレーラーハウスで暮らす23歳のアンが、突然、余命2ヶ月だと宣告される。
失意の中、一人夜中のカフェでノートに書き記すのが、死ぬまでにすべき10のこと。
余命のことは誰にも告げず、それらを実行することで残された時間を過ごそうと決意する。

主人公を取り巻く周囲の人々が印象的だ。

どうやら若い頃、かなり尖がった人生を歩んで来たらしい母は、今やすっかり生活に疲れている。
カウチに座り、好きなジョーン・クロフォードの映画を観ては涙を流す。

父は、刑務所で10年間服役中。

結婚式前日に婚約破棄されて以来、ダイエットのことしか頭にない職場の同僚。

不倫相手に選んだ男は、失恋を引きずり、女が持ち去って何もない家に新しい家具を買う気力すら持てないでいる。

それぞれに傷ついた彼らを演じるキャスティングが素晴らしい。
母をブロンディのデボラ・ハリー、不倫相手をマーク・ラファロ。
同僚を演じたクリストファー・プラマーの娘であるアマンダ・プラマーは、『フィッシャー・キング』を観て以来、大のお気に入り女優だ。

どうやら、映画の評価は賛否両論。
特に「夫以外の男性と恋愛をしてみること」というアンの行動の一つが、批判の的らしいが、自分は、むしろその点にこそ生身の人間らしさを見る。

死を前にしてさえ、人は誰もが菩薩のように生きられるわけではない。
自分勝手なエゴや、利己的な欲望を抱くことは、それほど他人から責められることだろうか。

刑務所を訪ねたアンに、父が言う。

「世の中には、相手が望むように生きられない人間もいる。努力してもできない。愛しても、幸せにできないのは辛いことだ。家族を愛しているが、家族が望むようには愛せないんだ」

どことなくゲイの生き方にも通じていて、心に沁みる。

人間の不器用な哀しみは、そのまま次作『あなたになら言える秘密のこと』に引き継がれていくテーマとなる。

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