想元紳市ブログ

2013年03月 ≪  123456789101112131415161718192021222324252627282930 ≫ 2013年05月
TOP ≫ ARCHIVE ≫ 2013年04月
ARCHIVE ≫ 2013年04月
      

≪ 前月 |  2013年04月  | 翌月 ≫

『スケアクロウ』

1973年のアメリカン・ニュー・シネマの傑作『スケアクロウ』。

刑務所を出てきたばかりのマックスと、五年の船乗り生活から陸に戻ってきたライオン。
殺風景な荒野の道で、それぞれヒッチハイクしようとして偶然出会い、意気投合し、旅の道連れとなる。
マックスは、ピッツバーグに行き、洗車業を営むことが目的。
ライオンはデトロイトにいる妻とまだ見ぬ子供に会うため。

マックスを演じたのはジーン・ハックマン、ライオンがアル・パチーノ。

sc-busted_convert_20160122201938.jpg

Yahoo映画のあらすじが、「ホモ・セクシュアルではない、男同士の深い友情を描いた」といきなり断定して始まっていることに、正直、驚いた。

いったい、男の深い友情と同性愛を隔てる境界線は、それほどクリアなものだろうか。

確かに二人には肉体関係はないし、マックスは好色で複数の女と関係を持つ。ライオンも妻子に対する深い愛情を隠さない。
それどころか、二人とも同性愛に対する嫌悪が明らかだ。

ライオンは、本名がフランシスなのだが、マックスから女みたいな名前だから嫌いだと言われる。
ライオンから、女のいない刑務所ではどうやって処理をしていたのかと問われたマックスの表情が豹変する瞬間。
暴行事件を起こし1か月だけ刑務所で過ごすはめになった二人。ゲイの囚人から迫られたライオンが拒否して暴行され、マックスが仕返しをする展開など。

しかし、ホモフォビアは、往々にして、根深い、意識下のホモセクシャルの裏返しである。

ライオンが、自分の幼い子供が男なのか女なのか知らないというのも、何やら意味深ではなかろうか。

マックスは、穴の開いた汚い衣類を何枚も重ね着しているのだが、それはまるでスケアクロウ(案山子)そのものを連想させる。
実際、酔っぱらって、自身を案山子だと自虐するシーンがある。
ライオンも、終盤、妻から拒否されて精神的に壊れ、病院に運ばれたとき、案山子と呼ばれる。

「カラスは案山子を怖がっているんじゃない。笑っているんだ。そんなおかしなやつの畑を荒すのはやめようと思うだけなんだ」

嘲笑の対象である、滑稽な道化師として存在する案山子を思うとき、当時アメリカのゲイたちが置かれていた状況と、自分は重なる。

もう一つ、案山子とライオンといえば、『オズの魔法使い』でドロシーと共に旅をする仲間の二人だ。
『オズの魔法使い』が、アメリカにおいて重要なゲイのアイコン的映画であることを考えると、物語の裏側に微かなゲイの匂いを感じるのは、あながち間違いではないような気がしてくる。


スポンサーサイト

白石一文『火口のふたり』

主人公の賢治は、妻子と別れ、会社も倒産して自殺すら考えた、いわば人生に挫折した中年男である。
いとこの直子の結婚式に出席するため、久しぶりに九州に帰郷する。
直子が東京に住んでいた若かりし頃、二人は愛欲に溺れた関係にあった。

十数年ぶりに再会した二人は、再びセックス三昧にのめり込む。
直子の新しいベッドで、電車の中で、路地の片隅で、ねっとりとした官能描写が続き、少々生理的嫌悪感すら覚える。

それゆえか、小説の評価は幾分賛否が分かれているようだが、自分は好きだと思った。

「たかだか40年余りとはいえ、決してうまく運んでいない我が人生」

賢治の喪失感は、同世代の男として他人事ではない。
現に、著者の経歴自体も、賢治と若干重なるものがある。

後半になると、物語は俄然、別の色合いを帯びてくる。

東日本大震災を経験して数年を経た、つまり、今の日本の置かれている状況そのものが、物語の主人公にとって代わるのだ。
 
「個人の力ではどうにもならないことがあり、それによって人生なんて、それこそどうにでもいいように翻弄されるのだと俺は知った」

富士山の大噴火が予知され、1週間後に政府が緊急発表を行うとの機密情報を二人が知るという、仮想の結末が用意される。
地震と富士山爆発についての客観的解説が、長々と続く。

「俺たちはかつて経験したことのない波乱と混迷の時代に突入する。この先、どのようなことが起こるのかは誰にも予見できないし、実際、巨大地震、巨大津波、巨大噴火が、いつ何時どこを襲ってもおかしくはない。そんな俺たちにとって、今後は自分の命一つを守ることすら容易ではなくなるだろう。だとすれば、十年先、二十年先のために計画を立てる人生などもはやあり得ない」

自然の力に比べ、人間の営みなど無力だという、目の前に厳然と立ちはだかる事実。
そうした状態下で、今をどうやって生きるのかという、シンプルな問いに直面するのだ。

が、ここに、明確な答えが提示されているわけではない。
賢治と直子も、セックスという刹那的快楽に逃避しているにすぎず、それでは決して救われないことを、ただ知るだけだ。


『あなたになら言える秘密のこと』

アルモドバル兄弟がプロデュースした2005年のスペイン映画『あなたになら言える秘密のこと』。

主な舞台は、イギリス沖の北海に浮かぶ、海底油田掘削所。
そこで、火災事故が発生。
ひどい火傷を追った作業員ジョゼフの看護をするため、一人の女がやってくる。

工場で働いていたハンナは、孤立し誰とも馴染まないとの理由で一カ月の休暇を出され、あてもなく旅に出た先のレストランで偶然耳にした求人話に乗っただけ。
何やら壮絶な過去を背負い、自分の中に複数の人格を作り出すことで現実逃避し、強迫神経症を患いながらもなんとか生きている。

そんなハンナが、火傷と同時に角膜を痛めて一時的に失明状態に陥っているジョゼフを淡々と看護する。

ジョゼフは、昔話や他愛ないジョークを饒舌に語り続けるが、ハンナの凍った心を溶かすのは、決して語られることのないジョゼフの苦しみである。

実は、重傷のジョゼフの他に、火災事故で死んだもう一人の男がいた。
男はジョゼフの親友であり、自分の意思で炎の中に身を投げたのだ。
その背景に、ジョゼフと男の妻の不倫があるらしいこと。

「人は過去をどう背負えばいい? つらい結末を、死を、どう受け入れる?」

ジョゼフに問いかけられ、やがて嗚咽のごとく語られるハンナの秘密。

哀しみを真に癒すことができるのは哀しみだけかもしれない、とも思える。

ハンナやジョゼフだけではなく、ここで働く7人の男たち、それぞれがなんらかの事情があってここを選び、孤独と寄り添いながら日々を生きている。

人目を忍び、機関室で激しく愛し合う作業員二人には、それぞれ陸に妻子がいる。
使命感に燃え、ひたすら波の数を調査し続ける若き海洋学者。
腕のいい陽気なスペイン人のシェフ、サイモン。

本作を薦めてくれた友人は、サイモンは実はゲイでジョゼフのことが好きだったのではないか、といかにもゲイらしい感想を述べていたが、自分も同感だ。
ゲイならわかる、彼の漂わす雰囲気は、まぎれもなくゲイそのものである。

サイモンとハンナが並んでブランコに乗るシーンがいい。

The_Secret_Life_Of_Words_04-1024x677_convert_20160122201449.jpg

愛し合う作業員の男二人がドラム缶の上で、Blood,Sweat & Tearsの"You've Made Me So Very Happy"を熱唱するシーンがいい。

ときに暗闇の中の宝石のように輝き、ときに風雨にさらされ、また夕焼けに黄昏る孤独の要塞のような掘削所の姿を捉えた映像は、センチメンタルな美しさに満ちている。

言わば、掘削所の存在そのものが、物語のテーマを象徴しているのだともいえる。

ハンナを演じたのはサラ・ポーリー、ジョゼフがティム・ロビンス。

dsc00967_convert_20160122201502.jpg


藤野千夜『おしゃべり怪談』

藤野千夜、初期の短編集『おしゃべり怪談』を再読。

ありふれた、あるいはわずかに奇妙な日常に、ときたま顔を出す心の歪みや揺れを、彼女独特のさらりとしたタッチで切り取った4編。

特に、最後に収められた『ラブリープラネット』が秀逸である。

主人公は東京で一人暮らししている大学4年生のキリコ。
3カ月前、前の恋人から振られてすぐにつきあい出した、恋人ホリイがいる。

ここでも、描かれるのは、やはり淡々とした日常だ。
ホリイと家で鍋をつっついてじゃれ合ったり、実家に帰省したり、姉の家を訪ねて近所のボケ老人の話を聞いたり、姉と一緒にプールに行ったり、といった取り立てて珍しくもない、平凡な日々。
たった一つ、姉が実は昔、兄だったという事実をのぞいては……。

兄は9年前に実家を飛び出して行方不明になり、再会したときには性転換手術を終えていたのだ。

「自分の好きなものが自分のからだには要らないというのはどういう心境だったのか想像してみた」

まるで藤野千夜の分身かとも思われるその姉を、キリコはあるがまま受け入れているかのように、一見、見える。
というのは、キリコは、ドライで何事にも冷めていて、感情の起伏がほとんどないからである。

逆に、姉は行動的でオープン。
実際、38.9度の高熱が出たと電話してくる姉に対し、キリコは風邪っぽいと感じても36度にも満たない低体温症だ。

そして、もう一つ大事な登場人物が、前の恋人が残していった一匹の金魚、ハナブサ。
最近、何やら頭におかしな白い斑ができている。
金魚屋に相談すると、病気だから水槽の水温を上げ、さらに薬浴させるようにとアドバイスされる。

ハナブサとキリコはよく似ている。
実はキリコには、少し病んだ、一つの奇妙な習慣があった。
「ばーか」と、自分で自分の家の留守電にメッセージを残すのだ。

やがて、ホリイも、キリコのことを何か歪んでいる言って去っていく。

「誰かがいなくなってしまうと、もういなくなられることはないと安心してしまう」

「紫外線というのはどうして目に見えないのだろうかと考え、目に見えないくせに存在しているものの多さにうんざりした」

ハナブサの病気は次第によくなるが、果たしてキリコはどうか。

小説の最後に、恐ろしい一文が置かれている。

「本当は好きだったなんて都合よく悲しむためだけに、姉が死ねばいいと何度も考えたことを思い出していた」

はじめてポロリと吐き出されたどす黒い感情に、一番驚いているのは、実はキリコ自身かもしれないし、そんなとりとめのない哀しさに閉じ込められた自分を「ばーか」と呼んでいるのである。