想元紳市ブログ

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『麗しのサブリナ』

先日の『ティファニーで朝食を』に続いてもう一本、オードリー・ヘップバーンの代表作『麗しのサブリナ』。

大富豪の御曹司兄弟と、使用人である運転手の一人娘サブリナの恋を描いたロマンチック・コメディーだ。

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兄のライナスをハンフリー・ボガート、弟のデイビッドをウィリアム・ホールデンという、今は亡き3人の美しきトライアングルである。

サブリナはデイビッドのことを想い続けてきたが、所詮、叶わぬ恋。
失意の中、パリに渡り、2年後見違えるような美しい女性となって帰ってくる。
結果、見事にデイビッドのハートを射止めるが、次第にライナスに魅かれるようになってしまう。

身分違いの恋と三角関係という古風なラブストーリーであり、流行にもなったオードリーの洗練されたファッションの方が内容よりも有名ではあるが、本作の魅力は、なんといってもウィットの効いたセリフの数々にある。

例えば、運転手の父がサブリナを戒めるセリフ。

「人生はリムジンと同じ。それぞれ座る場所がある。前の席と後ろの席、そして、真ん中にはガラスの仕切りがある」

軽快な、無駄のないセリフの連続は、監督・脚本ビリー・ワイルダーの真骨頂だ。

身分違いと言ってもさしたる深刻さはなく、おまけに絵に描いたようなハッピーエンドは完全におとぎ話で、さすがこの歳になると、少々白けてしまう。

それでも、観終った後には、ほのかな希望がある。
ある種のノスタルジーと呼んでいいものかもしれない。

良識ある大人たちによる、美しき良き時代の物語――。

ハリソン・フォードによる現代版リメイクが失敗に終わったのは、すでにそんなものは現代にはもう存在しないからである。



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『アバウト・シュミット』

ファミリー・ツリー』がなかなかの秀作だった、アレクサンダー・ペイン監督の2002年の作品が『アバウト・シュミット』。

両作品とも、仕事一辺倒だった中年男が、妻の死とその不貞の発覚に直面し、人生を見つめ直さざるを得なくなるという設定は全く同じである。

定年退職の最終日、荷造りの終わった殺風景なオフィスで、壁時計をじっと睨んでいる男、ウォーレン・シュミット。
秒針がきっかり5時を指すと同時に立ち上がり、オフィスを出て電気を消した瞬間から、彼の第二の人生がスタートする。

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ところが、すっかり生きがいを失くし、虚しさの中であり余る時間をどうやって過ごせばいいかわからない。
前向きでやたら明るい妻にも腹が立つし、離れて暮らす一人娘は胡散臭い男と結婚しようとしている。

そんな中、妻が急死。その上、昔、自分の友人と浮気までしていた事実が発覚する。
ウォーレンは、ショックと怒りのあまり茫然自失し、老後のため買ってあったトレーラーハウスを運転し、結婚を思い留まらせようと、娘のもとに走る。

ここからは、ロード・ムービーだ。
己の過去を確認したり、奇妙な人々との交流があったり、しかし、ウォーレンを変える事件らしい事件は何も起こらないまま、結局は嫌々娘の結婚式にも出席する流れに……。
心にもない感動のスピーチまでしてしまうのだが、もちろん、ウォーレンの心が晴れたわけではない。
それどころか、何もなしえなかった自分の人生の不毛と無力感に打ちのめされて一人帰宅する。

そこに届いた、一通の手紙。

実は、定年後の慰みにと、TVでたまたま見たアフリカの恵まれない少年の養父になるという制度に賛同し、毎月22ドルの小切手に手紙を添えて送ってきたのだが、その返事が初めてアフリカから届いたのだ。

仕事で成功し、お金儲けをする人生を否定するわけではないが、そこから零れ落ちてしまうものがある。
平凡な日常、寄り道や道草をすること、人とのなんでもない心の触れ合いの中に、キラリと光る喜びを見つける幸せ――。

それは、代表作『サイドウェイ』などにも共通する、ペイン監督の一貫したテーマである。

彼の映画の登場人物は、どんな端役であっても、どこか奇妙でバランスが悪い。
完璧な人格や王道の人生から外れてしまった人々に対する、監督の愛情が見て取れる。

本作においても、結婚式で、ただ讃美歌を歌うだけの女性ですら、なぜか笑ってしまうほどおかしい。

キャシー・ベイツ演じた、醜悪な体をさらす、娘婿のエキセントリックな母しかり。

もちろん、ウォーレンを演じたジャック・ニコルソンは、文句なくチャーミングでうまいのだが、ただ、いつものアクの強さが本作を彼の映画にしてしまったことは否めない。

 
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