想元紳市ブログ

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『愚の骨頂 続・うさぎとマツコの往復書簡』

「サンデー毎日」に連載されている二人の往復書簡をまとめた『うさぎとマツコの往復書簡』シリーズ二冊目。

今回、なんと言っても印象的だったのは、マツコが母のことを語った部分である。

母を愛するがゆえに、冷たく薄情にならざるを得ない微妙な想いは、自らを隠す多くのゲイにとって、決して他人事ではないだろう。

無名だったマツコは、8年前に中村うさぎの口利きで一冊の本を出版した。全く売れなかったが、テレビ局からは物珍しさで出演の依頼が殺到したのだという。
しかし、当時のマツコは全て断った。

「アタシはできなかった。何百万人、何千万人に指をさされ笑われるのは屁でもなくても、アタシを産んだってだけで、母までもが指をさされ笑われるのは、どうしても耐えられなかった」

現在の状況に至るまでには、数年に渡る、さまざまな葛藤と孤独な戦いがあったはずだ。

今でも、母親にきちんと話した覚えはないのだという。
ところが、ある日突然、手紙が届き、テレビでいつも見ていると書いてあったという。

「そして、最後は『今日も5時の生放送を見ます』で締められていたわ。母には見れないと思っていた東京ローカルの『5時に夢中!』をずっと母は見ていたのよ。(中略)アタシ、思わず大笑いしちゃったわ。そして、孤独ではない自分を再確認し、号泣したわ」

それに対する、うさぎの返事。

「言葉の上っ面だけじゃなく、その裏に潜む優しさを受け取ることのできる人間は、ボロクソに言われながらもあんたをしっかり理解してる。赤の他人でさえそうなんだから、あんたのそっけない態度の裏にある泣きたいほどの愛情を、お母さんが受けとってないはずないじゃない?」

さすが魂の双子、うさぎの優しさが胸を響く。


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『サラの鍵』

なぜかアウシュビッツものの映画に自然と手が伸びる。
それも『シンドラーのリスト』や『夜と霧』といった直接的なものより、『ソフィーの選択』や『愛の嵐』など、悲惨な体験を背負って生きるその後の物語を好む。

『サラの鍵』もまさにそんな映画だ。

夫、娘とパリに暮らすアメリカ人女性ジュリアはジャーナリストである。
ある日、夫の祖父母から引き継いだアパートにまつわる、ユダヤ人虐殺の歴史とかつて住んでいたサラという名のユダヤ人少女の話を耳にする。
ジュリアは、サラの秘密とその後の消息に興味を持ち、足跡をたどらずにいられなくなる。

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「サラの鍵」とは、アパートの子供部屋の奥にあった納戸の鍵のことだ。
サラは、両親とともに警察に連行されるとき、幼い弟を納戸に隠して逃したのである。

やがて、サラの物語は、夫も知らない夫の家族の秘密へとつながっていく。

一方、ジュリアは待望の第二子を妊娠するも、夫からは中絶を求められ、自分の生き方を見つめなおす、人生の岐路に立っている。
家族の反対を押し切ってまでも、サラの消息を訪ねる旅は、まさに自分自身の生き方を模索する行為でもあった。

1942年と2009年のパリ、二つの時代を交互に描きながら、舞台はニューヨークに移り、サラのその後とジュリアの生き方が、深いところで交差していく。

地獄を垣間見た者は、なんとかささやかな希望や自分に課せられた使命にすがって這い上がり、生きようとする。
だが、希望すら無残に打ち砕かれたとき、そこには絶望の闇しかないのだとしたら、この世はなんと残酷なのだろう。
それでも、人は生き続けることを求められるのだろうか?

ラストシーンで、そんなサラの悲劇的な人生に、予想もしない形の救いが与えられる。

物語は、一人の男性の思わぬ号泣で幕を閉じるのだが、観ている自分も同じく涙でエンドロールが読めなくなってしまった。


『居心地の悪い部屋』

本書の編訳者、岸本佐知子曰く「読み終わったあと見知らぬ場所に放り出されて途方に暮れるような、なんだか落ちつかない、居心地の悪い気分にさせられるような、そんな小説」12編を集めたアンソロジー。

昨年読んで気に入った、ミランダ・ジュライ著『いちばんここに似合う人』、リディア・デイヴィス著『話の終わり』がともに岸本佐知子の翻訳だったこともあり、本書を手にとった。

とりわけ気に入った短編は、アンナ・カヴァン著『あざ』。

14歳のころ、寄宿学校で出会った憧れの女生徒H。
一方的に羨望のまなざしで見つめていただけで、会話らしい会話は一度だけ。

「あなたもこれと同じものを見たことがある?」と、Hが見せてくれたのは、二の腕にある精緻な円形の紋章のようなあざだった。

それから長い年月が過ぎ、旅先の外国で、博物館として使われている中世の城を訪ねた「わたし」は、陳列奥の鉄格子の向こうの部屋に異様なHの姿を見る。

「あの地下牢はとても暗かった。いまのわたしには、あれが何かの間違いであったことを祈ることしかできない」

解説によると、40年以上前に亡くなっている著者のカヴァンは、裕福な家庭に生まれるも、鬱病と精神的不安定、ヘロイン中毒に苦しみながら作品を発表した異質の作家だったらしい。

レイ・ヴクサヴィッチ著『ささやき』では、女が出ていき、一人残された部屋で、男は奇妙な出来事に翻弄される。

「あやまちが犯され、関係が壊れ、互いを傷つけあう言葉が交わされる。それが人生だ」

女と、その新しい男に対する妄執にとりつかれた男の混乱は、誰にとっても、他人事ではない。

読後、居心地が悪いのは、普段自分が覆い隠したり、見ないふりをしている黒い感情、自分とは無関係だと思い込んでいる一面が呼び起され、揺さぶられるからである。


『恋の罪』

園子温監督の映画は、どうやら自分と肌が合うようだ。

と言っても、彼の感性や美意識という点では、センスを疑いたくなることも多々ある。本作に関して言うと、音楽の趣味だ。
それらを差し置いても、『恋の罪』が、安易な想像をあっさり裏切る、悪趣味ギリギリの、圧倒的な腕力によって紡ぎだされた映画であることは否定しょうがない。

物語は、実際の事件がモチーフになっている。

15年前に起きた、有名な東電OL殺人事件である。
渋谷区円山町のラブホテル街で夜な夜な立ちんぼし、売春をしていて惨殺された女は、なんと東電のエリート社員だった。
人が内に抱えた闇の暗さに、これほど容赦ない光を当てた女の事件は他に見当たらない。

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映画の主役になるのは3人の女だ。

事件さながら、昼間は有名大学助教授、夜は娼婦と化す女、美津子。
異常に潔癖な人気作家と結婚した主婦いずみも満たされない思いから、やがて円山町に辿り着く。
そして、優しい夫と子供がいながら愛人と情事を重ねる刑事、和子。

もう一人美津子の異常な母親も加えれば4人の女が、物語の全てである。
男たちはというと、みな揃って上澄み液のように希薄で、無責任で薄汚い。言ってみれば、「ごみ」のような存在ばかりだ。

受け身で夫の言うがままだったいずみは、流されるように堕ちていくのだが、それは、抑圧された自我の解放を伴う快感すら伴っていることに気付いてしまう。

美津子が、いずみに言う言葉。

「あのね、影がある人ねって言われる頃はまだ間に合うのよ。闇は影よりも濃いから。この辺りも闇が濃いから来ない方がいいよ。早く帰って」

劇中、一つの例え話が出てくる。

一人の主婦が生ごみを持って、ごみ回収車を追いかける。
間に合いそうになると行ってしまう、というのを繰り返しているうちに、どんどん遠くに来て、いつの間にか見ず知らずの町に辿り着いてしまっていることに気付く――。

思えば、人の一生とは、多かれ少なかれ、そんなものかもしれないと思う。
自分の意志通りに、一歩一歩確認しながら歩んでいる幸運な人はごくわずかで、多くの人は、必要に迫られ、追い立てられて進んだ先で、初めて見る風景に驚く、そんな生活。
それは、今まで知らなかった、自分の別の顔でもある。

映画のエンディングも、和子のそんな姿で終わる。
辿り着いた場所で、立ちすくむ和子が着ているのは、被害者の女が着ていたのと同じ赤い服だ。

美津子の教え。

「愛する人とのセックス以外は、金を介在させなきゃ駄目」

闇の向こうに見えるのは、捨てても捨てきれない、どうしようもない愛の姿である。