想元紳市ブログ

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『マリリン 7日間の恋』

マリリン・モンローがローレンス・オリヴィエと共演した1957年の映画『王子と踊子』。
本作で描かれるのは、その撮影のため滞在したロンドンでの短い日々である。

助監督を務めた青年コリン・クラークの回想録が元になっているが、『7日間の恋』という邦題は明らかに誤解を招く。

原題は”My Week With Marilyn”。

伝わってくるのは、マリリン・モンローという世界一有名な名前と美貌を持ってしまった一人の女の不幸だ。
そこに恋やロマンスという甘たるい言葉を与えることには、違和感を覚えずにいられない。

決して恵まれていなかった生い立ちから、おそらく愛し方も愛され方も知らなかったマリリン。
成功によって手にしたものと失ったもの、心から欲しても得られなかった安心できる愛――。

孤独や不安から薬に頼り、精神的にギリギリの状態だったことは、映画の中でもはっきり描写される。
撮影所での様々なトラブル、我儘や奇行で、相手役のオリヴィエは散々振り回され、何度となく怒り狂うシーンもある。

ところが、出来あがった映画を試写室で観たオリヴィエは、スクリーンの中のマリリンのあまりの美しさと輝きに言葉を失う。
彼女は単にセクシーなだけの頭のよくない大根役者では決してなく、あまりに不幸な女であり、それゆえに女優として輝きを放っていることに気づいてしまうのだ。

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物語は、撮影が終了し、マリリンがロンドンを去るところで終わる。
だが、その数年後、悲劇的な形で短い生涯を終えることを知っている我々は、複雑な感慨とともにエンドロールをむかえることになる。

オリヴィエとコリンが二人並んで、完成した試写を観るシーンが、とりわけ印象的だ。

『ヒューゴの不思議な発明』でも、皆で完成した映画を観るシーンがクライマックスになっているのだが、映画としての完成度はともかく、シーンの持つ陰影に限って言えば、自分は『マリリン』の方がずっと好きだ。

そこには、単なる愛すべき善人による善人賛歌ではなく、表向きの輝きの裏側に、人の抱える哀しい闇が浮び上っているからである。


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豊﨑由美『ニッポンの書評』

普段、書評はあまり読まないのだが、豊﨑由美は、書評自体より、普段の発言や考え方が好きである。

「批評は対象作品を読んだ後に読むものであって、書評は読む前に読むものだということです」

彼女の書評家としての立ち位置は明快だ。
本書の中でも、とりわけ「ネタばらし」の問題に関して、悪しき例と書いた実名を挙げて説明するなど、腹の据わった潔さは、あくまでも読者の側に立つからこそ持ち得るものだろう。

素人のブログやアマゾンのブックレビューに対する意見も容赦ない。

「批判は返り血を浴びる覚悟があって初めて成立するんです」

匿名で書いている以上、著者に対するリスペクト精神と愛情を持って紹介できる本だけに限定すべきであって、悪意だだ漏れの批判的なものは書くべきではないと言う。

そう言いつつも、日本には、発せられるべきところからの批判の習慣がないことも嘆く。
彼女ほど有名になっても、なかなか批判的な文面を入れるのは難しいのだという。

自分は、日本には本当の意味でのジャーナリズムが存在していないと、常々思っている。
特にエンターテイメントの世界でそれは露骨だ。
芸能・映画評論家の多くは、ただの宣伝屋である。
素人による批判が巷に溢れるのは、やるべきプロがやるべき仕事をしていないからではないか、とすら思う。

さらに言えば、それは国民性や日本社会の特性ではなく、成熟さの問題だ。

豊﨑由美といえば、最近、爆笑問題の太田光の小説に対する書評で話題になったが、批判された太田の反応の仕方には、そんな状況の一端を垣間見ることができる。



白石一文『ほかならぬ人へ』

2年前の直木賞受賞作である白石一文著『ほかならぬ人へ』を読んだ。

富豪一家の御曹司である主人公、宇津木明生と三人の女。
恋人から妻となるなずな、親が決めた許婚だった幼馴染の渚、会社の上司である東海さん。  

テーマは「運命の人というのは本当にいるのか」。

通俗的な、一歩間違えれば少女趣味になりがちなテーマを、著者は敢えて肯定的に描こうとする。

そこには、例えば流行りのライトノベルにあるような甘さは皆無で、どこまでもリアリティーのある、大人の心のキャッチボールがせつなかった。

明生は、裕福な家庭になじめず、優秀な兄たちへの劣等感もあって、己の存在価値を見い出せない。

「この世界の問題の多くは、何が必要で何が不必要かではなく、単なる組み合わせや配分の誤りによって生まれているだけではないだろうか」

妻のなずなは、かつての恋人である真一のことが忘れられず、家を出る。
その後二人でじっくり話し合い、明生がこれで復縁できると自己満足に浸っているところに、ふいに正式な離婚届と手紙が届くのだ。

「やはり明生さんのような人には、私や真一さんみたいな人間のことはよく分からないんだろうと思います。この前、お話ししてみてそう思いました」

これを見て明生はもちろん大変な衝撃を受けるのだが、なずなの言う本当の意味に気づくのは、ずっと後のこと。

「ベストの相手が見つかったときは、この人に間違いないっていう明らかな証拠があるんだ」

明生がついに証拠を掴かむのは、その対象が失われてしまってからである。

愛と喪失の狭間に横たわるのは、「余りにも深いかなしみ」でしかないのだろうか。


『ヒミズ』

園子温監督の最新作『ヒミズ』。

冷たい熱帯魚』同様、作り手の圧倒的なパワーに満ちた映画である。

酒浸りでたまに帰ってきては暴力をふるう父親、母親は愛人と蒸発し、池のほとりの貸しボート屋に一人残された少年、住田。
拒否されながらも、住田を唯一理解する同級生の少女、茶沢。
二人を取り囲む、ホームレスや借金取り立てのヤクザたち。

住田と茶沢を演じた、染谷将太と二階堂ふみがベルリン映画祭で、揃って新人賞を受賞した理由は観ればすぐわかる。

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万人受けする映画ではないかもしれない。
だが、はっきりと思うことは、過激で暴力的な内容にも関わらず、園子温が本作で描こうとしたこと、そして何より彼の志は、今の多くの日本の映画監督とは比べ物にならないぐらい、ずば抜けて高尚なものだということだ。

「夢を持ち続けよう」「一生懸命に頑張ろう」「努力すれば報われる」といった、巷に溢れた、一見まっとうな正論に潜む偽善や窮屈さ。
教壇の上では教師が教科書通りの道徳を説き、路上では若者ミュージシャンが薄っぺらな愛を歌う、軽薄さ。

この物語で光があたるのは、そんな正論とは無縁の、不器用な負け組や弱者たちである。
たとえ、本人の選んだものであろうと、避けられない境遇であったとしても――。

住田と茶沢は、もちろん後者の、救い難い大人たちの犠牲者ではあるが、そうした泥まみれの世界から一歩踏み出そうと抗うところに、初めて本物の希望が生まれるのである。

映画は、終わりで、一度は捨てた「頑張ろう」という言葉を、もう一度、絶叫させて幕を閉じる。
それは、東日本大震災をうけ、あえてその後の日本に物語の設定を置き替えた監督の、強いメッセージが込められた絶叫に他ならない。

 

『カーネーション』

朝ドラ『カーネーション』にかなりハマっている自分。
ここ何年かの日本のドラマの中でも出色の出来だと思う。

昨日は尾野真千子演じる糸子の最後の日であり、実質的な最終回と言っていい程の盛り上がりを見せた。
また、糸子の母千代の死を、夫、善作との幻のふれあいで示唆したシーンのせつなさといったら。

魅力的な登場人物、達者な俳優陣、渡辺あやの脚本の素晴らしさはもちろんのこと、何と言っても、ドラマの面白さは、昭和のよき時代が見事に生きていることにある。

親と子の関係、家の中における祖母の存在感、隣近所の人たちとの交流など、現代日本、とりわけ東京など大都会の生活の中ではとっくに失われてしまったものを、このドラマに、はっきりと見い出すことができるのだ。

また、サイドストーリーとして、安岡美容室の家族が、自分には気になってしようがない。
それは、濱田マリ演じた玉枝の激しい生涯に代表される、当時の日本の暗の部分である。

玉枝は、息子二人を戦争で奪われたことによって生きる気力を失い、しばらく寝たきりの歳月を送る。
振り返ることをやめ、前だけ向いて生きていこうと決心することで、やっと立ち直ったかに見えるが、決して理不尽な形で子供に先立たれた虚しさが消えたわけではない。
老いて、死の床に伏せってなお、このようなことを呟くのである。

息子たちは戦争で酷い目にあわされて死んだのだと思っていたが、そうではないかもしれない。もしかして、酷いことをしたのは息子たちの方で、そのことで苦しんで死んだのかもしれない……と。

次週からは、夏木マリに糸子役をバトンタッチ。

今のお気に入りキャラは、六角精児演じる従業員の恵さん。
昌ちゃんと結婚すればいいのに、という声も聞かれるが、恵さんはゲイだからそれは無理な話である。