想元紳市ブログ

2012年01月 ≪  1234567891011121314151617181920212223242526272829 ≫ 2012年03月
TOP ≫ ARCHIVE ≫ 2012年02月
ARCHIVE ≫ 2012年02月
       次ページ ≫

≪ 前月 |  2012年02月  | 翌月 ≫

『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』

原作は、9・11後の喪失と再生を描いた現代アメリカ文学の金字塔。

その予備知識だけで観たのだが、いかにもスティーヴン・ダルドリー監督らしい、クライマックスに向って畳みこむような演出に、最後30分はダラダラと泣かされてしまった。

父を9・11同時多発テロで亡くした少年オスカー。
1年たっても父の死の事実を受け入れることができない。元々、他人とのコミュニケーション能力に問題があり、人には見えない歪な殻に閉じこもって、心から血を流し続けている。

ある日、遺品の中に一つの鍵と”Black”と書いたメモを見つける。
探し続けることの大切さを説いていた父。鍵には父の最後のメッセージがあるはずだと信じて、NY中のBlackという名字の人を訪ねて歩く。

さらに、オスカーには、もう一つ誰にも言えない秘密があった。
終盤、ついに秘密を告白するシーンでは劇場内のあっちこっちですすり泣きの声が聞こえた。

maxresdefault_convert_20160123133023.jpg

両親をトム・ハンクスとサンドラ・ブロックという二大スターが演じ、しっかりと少年を受け止めているのはもちろん、物言わぬ祖父を演じたマックス・フォン・シドー、不思議な縁のある黒人夫婦を演じたヴィオラ・デイビスとジェフリー・ライトのさりげない名演が泣かせた。

オスカーがつぶやく。

「会ったほとんど人が、みな、それぞれ何らかの大切なものを失っていた」

人が生きていくということは、ところどころで大切なものをいくつも失っていくことであり、自分の中で折り合いをつけながら、喪失と哀しみを背負い続けていくということではないのか?

オスカーがそのことを知ったとき、初めて何かを掴む。

斬新なタイトルは、誰もが逃れられない、この哀しみの感情そのものを指しているように思う。

ダルドリー監督の過去の三作『リトル・ダンサー』『めぐりあう時間たち』『愛を読むひと』は、どれも忘れられない作品だ。
これらは全て、繊細すぎる少年の存在がストーリーの鍵になっている。
バイセクシャルであるダルドリー監督自身の、遠い記憶の光と影が、密かに投影されているように自分には思える。

 
スポンサーサイト

『ドラゴン・タトゥーの女』

デヴィッド・フィンチャー監督の最新作『ドラゴン・タトゥーの女』。

ある実業家の不正告発記事が裁判で敗訴し、窮地に立たされた記者のミカエルに、大富豪一族の老主から声がかかる。
40年前に忽然と姿を消した姪ハリエットの真相を究明してほしいというのだ。

ミカエルの調査に手を貸すのが、タトゥーとボディピアスで自らを傷つけ、暗い過去を持つ天才ハッカー、リスベット。

次第に明らかになる一家のおぞましき裏の顔。
何ら接点のない、ハリエットとリスベットという二人の女の闇が、物語の裏側で微妙にオーバーラップしてくるのが、もう一つの見どころだ。

Daniel-Craig-as-Mikael-Blomkvist_convert_20160123132957.jpg

物語の魅力は、なんといっても、リスベットというかつてない異形ヒロインを産んだことにつきる。

カリスマ性と暗い闇は、演じた素顔のルーニー・マーラ本人とのギャップゆえに匂いたったのだと思う。
マーラが、同じくフィンチャーの『ソーシャル・ネットワーク』で主人公の恋人を演じた女優だと、事前情報なしにわかる人がどれぐらいいるだろう。

The-girl-with-the-dragon-tattoo_convert_20160123133046.jpg

原作者のスティーグ・ラーソンは本の発売前に急死したという。
本作は三部作に渡る長い物語の第一章に過ぎず、リスベットの過去やミカエルとの関係などは謎のまま終わってしまう。
観終わったあとの、微かな物足りなさは、この後に続くストーリーへの興味の裏返しかもしれない。

リスベットの過激な容姿と凶暴性、世間一般の道から逸脱した生き方の、根底にある哀しみと絶望の理由を知りたいと思う。

オープニング・タイトルの強烈なビジュアルイメージが忘れ難い。

オリジナルのスウェーデン映画も鑑賞したが、出来そのものは、甲乙つけがたいといったところである。

 

『別冊太陽 女優 高峰秀子』

1999年、高峰75歳のとき、生前に発行されたものである。

出演映画やポートレイトなど数々の写真で占められたページのほか、川本三郎が編纂した読み物の部分は、なかなか読みごたえがあった。

例えば、三島由紀夫との対談「高峰秀子さんと映画・結婚を語る」の再録。
まだ若き三島に、どうして結婚しないのかと高峰が質問する。

「必要がないもの。君、用もないのに、渋谷から築地まで電車に乗るバカがいる?」

二人の腹の中を想像するのは楽しい。

何より愉快だったのは、高峰、山田五十鈴、田中絹代の座談会の模様だ。

座談会といいながらも、三人が打ち解けているようにも、会話が盛り上がっているようにもみえない。それぞれトップを極めた女優としてのプライドや自信が、行間にそこはかとなく垣間見える。

「山田先生や田中先生は物心がついて自分の判断でお入りになったけど、私は赤ん坊のときから入っているから。(中略)一生女優で、赤ん坊のときから女優してそれがよほど好きなら何だけれども、自分というものがほかにあるのではないか、ほかの自分というものはわからないけれども、そういう第三者に私あこがれるんですね」

それでも、大女優を長く続けてきた者同志として、言葉にせずとも、認め合い、共感しあっている空気が漂っている。

交友写真からわかる通り、政治家、財界人、芸術家など、時代を代表する顔と親交があった。
驚くべきは、大御所を前にしても、対等に自分の言葉で自分の考えを話すことができた女性だったということである。
高峰に対する今の評価は、まだ不十分だと思う。

「私はずっとやってみて、結局つかず離れずということが何にでも一等いいかなと思う」

幼くして大スターになったがゆえに、一時はたくさんの親戚縁者が高峰に寄生し、金銭的な面倒を見続けた人だからこそ、この言葉には重みがある。


『人生はビギナーズ』

マイク・ミルズ監督自身の実体験を映画化した『人生はビギナーズ』。

母親が死んで数年、75歳の父親が突然、息子にカミングアウトし、これからの余生をゲイとして楽しく生きたいと告げる。

film_convert_20160123174630.jpg

ハートウォーミングなライトコメディーだと思って観ると、少々戸惑う。
例えば『トーチ・ソング・トリロジー』や『リトル・ミス・サンシャイン』のように、笑えて、最後は明るく前向きな生き方の勝利を讃えて終わるものだと思っていた。

ところが、本作の雰囲気は随分違う。
なんと言っても、主役であるはずの父親ハルは映画が始まった時点で既に死んでおり、息子オリヴァーの回想の中においてしか登場しないのだ。

テーマは、オリヴァーの孤独と喪失感である。
父と母は本当に愛し合っていたのか、二人が心から愛し合っていなかったとすると、間に生まれた自分は何なのか、という人生の疑問から、愛というものに懐疑的で、誰とも深い人間関係すら築けないでいる。

そんなオリヴァーが、ある日、少々風変わりな一人の女性アナと出会う。
閉じこもっていた殻に、小さな風穴が開く。
父の生き様や言葉を思い出し、反芻するうちに、ほんのささやかな一歩踏み出す勇気を持つに至る物語なのだ。

印象に残る台詞がある。
アナが、ホテルの部屋から見える高層マンションを指してこう言う。

「あそこの住人の半分は物事を悲観的に捉えて生きている。そして残り半分は、魔法を使えると信じている人々。両者の対立は深刻よ」

聞いているオリヴァーは、明らかに前者の人間だ。
さらに言うならば、二つの相反する生き方は、一人の人間の心の中に共存するものであり、人は両者の狭間で日々葛藤しながら生きているのではないだろうか。

この映画は、監督のパーソナルな心象風景の素描である。
観終わったあと、じんわりと温かなものが心を満たしているのを実感できるのは、監督のそんな真摯さからくるものかもしれない。

 

『ゴーストライター』

ロマン・ポランスキー監督の『ゴーストライター』は破綻のない上質なサスペンスで楽しめた。

元英国首相アダム・ラングの自伝を執筆することになった一人のゴーストライター。
時を同じくして、テロリストのCIA引き渡しに関わる、ラングの政治的スキャンダルが明るみに。
アメリカ東海岸に浮かぶ小さな島にあるラングの別荘で、インタビューをしながら執筆を進めるうち、国家ぐるみの政治的な陰謀に巻き込まれていく。

72ec820e38d7408cbe4ff5aa55cda99d_convert_20160123174616.png

ストーリーの面白さとは別に、素晴らしいロケーションとそれを大胆に切り取った映像が秀逸だ。

寒々とした島の風景、フェリーの出る夜の港、別荘の建築デザインやインテリアなどが、展開する物語を完璧なまでに盛り立てているのである。
まさしくプロダクション・デザイナーの手腕によるものであったとしても、ポランスキーならではの映画的センスに裏打ちされていることも否めない。

ゴーストライターを演じたのがユアン・マクレガー、アダム・ラングをピアース・ブロスナン。

アダムの妻、ルースが物語の鍵を握る。
ルースは、女性秘書と夫の関係を疑って情緒不安定。また、性的欲求不満を抱えていそうでもあり、相当複雑な人間性を匂わせる。
この役で多くの賞を受賞したオリヴィア・ウィリアムズは、複雑な女を見事な不協和音を響かせて演じてみせた。

一方、アダムの女性秘書を演じたのが、キム・キャトラル。
SATCのサマンサのイメージが強いが、ここでは感情を押し殺す。
ルースが疑っているようにアダムと本当に愛人関係にあったのか、曖昧なところがいい。

とりわけ気に入ったのが、モダンな別荘の至るところに飾られた沢山の現代絵画。
そのセレクションが物語にぴったりなのだ。
ほとんどが抽象画で、決して饒舌ではないまでも、何やら内なる激しさを秘めたネガティブなパワーが、ルースの内面を、そして結末のどんでん返しを静かに暗示しているかのようである。