想元紳市ブログ

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『ぼんち』

山崎豊子原作、1960年に市川崑監督で映画化された『ぼんち』。

「ぼんち」とは関西弁で言う、器の大きいできた若旦那のこと。

気弱な婿養子であった父が、死の床で、息子の喜久治に言う。

「気根性のあるぼんちになってや。ぼんぼんで終わったらあかんで」

大阪船場の老舗問屋を舞台に、女系家族に生まれた一人息子の放蕩な女遊びと、彼を取り巻く女たちのしたたかだが、粋な人間模様を描き、独特のおもしろさがあった。

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未だ祖母に頭の上がらない母を山田五十鈴、最初の妻を中村玉緒、妾たちを京マチコ、若尾文子、越路吹雪、草笛光子ら豪華女優陣が競うように演じる。

とりわけ、毛利菊枝演じる、強権的な女主である祖母が強烈だ。
料亭の仲居頭を、喜久治の妾に見初めて、こんな怖いことを言うのである。

「ええ体やし、品もあるし、わてが男やったら、子供を産ましてみたいようなおなごや」

個性的な女優陣の中にあって、好色で責任感に欠けるが決して憎めない若旦那、喜久治を演じた、市川雷蔵の魅力が、本作を品よく支えている。

船場の古き良き時代、そして、戦争を迎え、空襲によって全てが破壊される運命を経て、再び、したたかに立ちあがっていく彼ら。

終戦のドタバタの中、3人の妾たちを疎開させてあった寺を、喜久治が久しぶりに訪れ、覗き見たものは……。

有名な、若尾、越路、京の入浴シーンだ。

敗戦の痛手を全く感じさせない、白く豊満な体をした3人の女たちが、それぞれが前向きな未来を語っては、お湯をかけあって、はしゃいでいる。

それを見て、喜久治は、女はもうこりごりだと思うのだが、女たちが強さと明るさを失わないでいられるのは、彼がなけなしの財産を分け与えたからであり、それは、彼が潔さと心優しさを持った、本物のぼんちであるからに他にならないのである。


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『ブレードランナー』

SF映画の金字塔『ブレードランナー』。
アナログ撮影された最後のSF映画であり、近未来のフィルム・ノアールなどとも称されるが、映画史に燦然と輝く傑作であることに異論を挟む人はいないだろう。

先日、ファイナル・カット版とメイキング『デンジャラス・デイズ』の両方をあわせて鑑賞し、再びこの世界の虜になってしまった。

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舞台は2019年のロサンゼルス。
人造人間であるレプリカントと、逃亡した彼らを処刑するブレードランナーの死闘の物語、と大筋を述べたところで、この映画の何物をも説明しえない。

様々な解釈がなされ、何冊もの解説本が出版されているが、自分にとっての魅力は、何と言っても、せつなすぎるほどの、生の哀しみである。

それを体現するのがレプリカントであり、彼らは、自分が人間ではなく、まもなく製造とともに定められた寿命を向えると知ったときから、恐怖と不安の中を生きることになる。

生とは何か、死とは何か、記憶とは何か。

彼らが向える死に様は、一様に壮絶であるが、それは生への強い執着の現れだ。

模型や単純な合成写真を使ったアナログの撮影とは思えない、今観ても全く色褪せることのない映像美。
背後に流れる、完璧な、あまりに美し過ぎるヴァンゲリスの音楽。
メイキングを見ると、監督のリドリー・スコットが、いかに一切の妥協を許さず、自分の美意識を貫き通したか、よくわかる。

最後まで生き残ったレプリカントが、ついに死を迎えるとき呟く言葉が好きだ。

「俺は、貴様ら人間が想像もできないものを見てきた。
オリオン座の近くで炎に包まれた戦艦、
タンホイザーゲート近くで輝くCビーム。
それら瞬間も、やがて時が来れば
すべてが失われる
雨に洗われる涙のように……。
死ぬ時が来た」

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公開時には、『ET』など心温まる、ヒューマンでわかりやすいSFに隠れ、ほとんど注目されなかった。
それが今や、つい最近もイギリスの映画雑誌が史上最高のSF映画1位に選出するなど、多大な影響力を持つに至った本作。

日本公開時、「レプリカント軍団、人類に宣戦布告」との宣伝コピーを作った人は、きっと抹殺したい人生の汚点だと思っているに違いない。

  

『切腹』

名作との誉れ高い小林正樹監督の『切腹』を観た。

これを観ると、今のTVの時代劇がただの子供向きの娯楽に思えてしまう。

時は江戸時代の初め。
天下泰平で仕事を失った浪人たちが大名屋敷を訪れ、そこで切腹させて欲しいと申し出ることによって、お金や仕事をもらうという"たかり"が流行していた。
そしてまた一人、津雲という名の年老いた浪人が井伊家を訪れ、切腹を願い出る。
が、そこには悲しみと怒りに彩られた深い訳があった。

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主演の浪人を演じたのが仲代達矢。
娘を岩下志麻、敵対する家老が三國連太郎。
仲代は当時まだ、30歳になる前だったとは驚く。

モノクロの映像は時にスタイリッシュであり、時にアーティスティックだ。
娯楽エンターティメントと芸術性、その二つは見事に融合することを、本作は証明している。

特に、井伊家の屋敷の素晴らしさといったらどうだろう。
そして、草原での果たし合いは、少年の心をも魅了するに違いない、格好良さと緊張感に溢れ、それでいて美しい。

「実戦の経験を得ぬ剣法、所詮は畳の上の睡蓮」といった台詞も気に入った。

サムライ精神の偽善性を暴いた作品といった高尚な解説がなされることも多いようだが、実際は、それほどの深い示唆を感じず、どこまでも時代劇の定石、勧善懲悪の世界だ。

むしろ、終盤、偽善を暴きたてられて尚、面目を保とうする三國演じる家老の、苦渋に満ちた顔のアップこそ、本作品を一級たらしめている味わい、奥深さそのものである。

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市川海老蔵主演でリメイクされる『一命』の出来はどうなのだろう。
映像、音楽、脚本、役者の質、どれをとっても『切腹』の完成度を超えることは到底不可能だとわかっているのに、敢えてリメイクを作る意味はどこにあるのだろう。

 

桜木紫乃『ラブレス』

知人からすすめられ手にした、桜木紫乃著『ラブレス』。

ここまでおもしろくする必要があるのか、とも思えるドラマチックな展開で、一気に読んでしまった。

物語は一人の瀕死の老婆が、北海道釧路の町営住宅で発見されるところから始まる。
意識は既になく、手には一つの位牌、生活保護で暮らしていた老婆の名は、杉山百合江。
これは、百合江の数奇な一生を描いた物語だ。

開拓地の極貧の家に生まれ、奉公に出されるが、歌が好きで旅回りの芸人一座に飛び込んだことから、いよいよ百合江の波乱の半生がスタートする。

「この世は生きてるだけで儲けもんだ」というのが、女座長の教え。

様々な事件や辛苦に遭遇しながら、流されるまま、なんとかやり過ごしていく百合江の生き方には、反発を覚える人もいるかもしれない。
現に、妹の里実や娘の理恵は、百合江が理解できない。

「生まれた場所で骨になることにさほどの執着心を持たせない。それでいて今いる場所を否定も肯定もしない。どこへ向かうのも、風のなすままだ」

不幸も幸福も長く続かないとわかっていることが、百合江の人間としての強さである。

百合江が、その時々で関わる3人の男。
同じ一座の女形だった宗太郎とは娘をもうける。
娘のために、結婚するマザコン男の高樹。
離婚し、娘を育てるため必死に働く百合江を陰で支える石黒。

転勤で北海道を去る石黒のために、働いていたクラブのステージで百合江が歌うのが、沢田研二の『時の過ぎゆくままに』。

「もしも二人が愛せるならば、窓の景色もかわってゆくだろう……」

まるで映画の名シーンのようだ。

最後、死に瀕した百合江の傍にいる老人の正体がわかったとき、里実も理恵も、そして読者も、初めて百合江の生き様を心から肯定する涙にくれることになる。