想元紳市ブログ

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桃井和馬『妻と最期の十日間』

NHK『旅のチカラ』は、毎回、一人の旅人が、自分の魂や内面に向き合うディープな旅をする。

報道写真家、桃井和馬が旅したのは南米ペルー。
妻を亡くした喪失から立ち直るための巡礼の旅である。

ペルーは若き桜井が住んでいた国。
当時アメリカに留学中だった妻が、桜井を訪ねてきたことにより、将来を約束するに至った思い出の場所だった。

彼の書いた『妻と最期の十日間』は、くも膜下出血で突然倒れた41歳の妻を看取った10日間の記録である。

世界の紛争地帯で様々な死に接してきたはずの桜井が、迫りくる妻の死を前に、ひたすら狼狽え、苦悩する姿は読み進めるのも辛いほどだ。

結婚して16年。

「時を重ね、寄りそうことで、一人の女性が、先輩と後輩の関係から恋人へ、恋人から妻へ、時には母に、時には戦友になった」

クリスチャンである家族は、無意味な延命をしないことを決める。

「自然を前に驕ってはいけない。自然の破壊も許されない。人間はどこまでも自然の一部で、自然の流れに人間は従うしかない。それが彼女と私が共有した認識だった」

『旅のチカラ』の中では、現地の人から、ある場所の白い石を持って行き、巡礼地に置いてくると、心の重荷を下ろすことができると教えられる。

妻の死から、しばらくは全く仕事も手につかず、酒におぼれた数年をすごしていたという桃井。
教わった通り、小さな石をカバンに忍ばせるのだが、桃井は日本に持ち帰ることを選ぶ。
その重荷に、これからも向き合い続けたいからだという。

本書の冒頭で引用されているのは、有名な「ニーバーの祈り」である。
アメリカの神学者ラインホルド・ニーバーにより1930年代か40年代ごろ書かれた。

「神よ、
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ」
(大木英夫訳)


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河野多惠子『逆事』

河野多惠子の短編小説『逆事』はこう始まる。

「人は満ち潮どきに生まれ、干き潮どきに亡くなるという」

両親から教わったという、この謂れに囚われた著者が、両親や叔母、さらには飼っていた小さな蟹の死に接する中で、思いを巡らす。

珍しくテレビに出演し、本作のことを語った著者の言葉が印象に残っていた。

宇宙と人間の営みは密接につながっている、月が人間の生死に影響を及ぼしていることは間違いない、といったような内容だった。

かつては、サディズムなど歪な性愛を描いた女流の大家が、このような意識を持っていることは意外な気もしたが、同時に共感もした。

作中では、何人かの文豪の死についても触れている。

著者の敬愛する谷崎潤一郎と佐藤春夫は、干き潮どきに亡くなっている。
しかし、三島由紀夫は満ち潮で亡くなっている。

「それも満ち潮に変わったばかりの時刻ではなく、絶頂へさしてどんどん進んで行っている時刻で亡くなっているのである」

三島のことを「択びすぎた作家」だとし、その死もまた同じように択んだ死であったと評する河野。

つまり「逆事」にあたるというわけだが、著者は別にその是非を問おうということではない。

生と死の狭間に横たわる、ミステリーとも言える隙間をそっと覗き見るだけである。
諦観に近い、穏やかで、静かな眼差しがむしろ心地いい。


『ナッシュビル』

ロバート・アルトマン監督の初期の代表作『ナッシュビル』のリバイバル上映を観てきた。

『ザ・プレイヤー』や『ショートカッツ』など、彼の群像劇が大好物の自分。
その原点との高い評価を受けながらも、日本では長らくソフト化すらされておらず、幻の傑作とも言われていたのが本作だ。

カントリー・ミュージックの聖地、テネシー州ナッシュビルを舞台にした、総勢24名の5日間に渡る人間模様である。

バラバラに動いていた各々の人物が、やがて一枚のタペストリーのような模様を形作る。
本作流に言うと、それぞれの音符が合わさって、一曲の音楽を奏でるとでも言おうか。
メロディーが聞こえた瞬間の高揚は、アルトマン映画を観る醍醐味だ。

24人の中に、まるで道化師のように、各人物の間を渡り歩く二人がいる。
大統領候補による集会コンサートの裏方、トリプレットと、自称BBCの記者の女、オパールである。
二人は、それぞれ野望と好奇心を抱えながら、様々な人物に会い、関係の糸を紡いでいく。

そうして見えてくるのは、どうやら、アメリカという国の光と影である。
映画が製作された1976年というと、ケネディーは暗殺され、ベトナム戦争も一応の終結を見るものの、アメリカ人自身が、その深刻な後遺症の闇の中に足をとられていくとき。

映画の最初から最後までを貫く一本の背骨にあたるのが、街を縦横に走る大統領候補の宣伝カーである。
そして、フィナーレは、候補者によるキャンペーン・コンサートの野外会場だ。
建物の上部に翻る巨大な星条旗。
皆が集ったその場で、女性歌手の狙撃事件が起きる。
いかにもアメリカ的なカタルシス。
そのあと、何もなかったかのように登壇し、歌う素人女性の姿は、ほとんど恐怖だ。

言うまでもなく、この映画の主役はカントリー・ミュージックである。

多くの人物たちが、実際、至るところで様々なカントリー・ミュージックを歌う。
上手い人、下手な人、ある者は悲しみに打ちひしがれて、またある者は愛を込めて……それぞれの歌は、まさしく陰影を伴ったドラマそのものだ。

24人の中に、リリー・トムリン演じる主婦兼ゴスペル歌手のリネアがいる。
昔の恋人が歌うライブハウスをひっそり訪れ、会場の隅っこで”I'm Easy”を聞く場面は、本作の名シーンの一つである。

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