想元紳市ブログ

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『幸せの始まりは』

愛と追憶の日々』『恋愛小説家』のジェームズ・L・ブルックス監督の最新作。

全米ソフトボールチームを、年齢を理由に解雇されたリサ。
最近、恋人ともしっくりきていない。
一方、ジョージは、父親の経営する会社の重役でありながら、何かの濡れ衣を着せられ、詐欺容疑で立件される。失業し、さらに恋人とも破局してどん底状態だ。

そんな失意の二人が出会う。

二人を演じたのは、リース・ウィザースプーンとポール・ラッド。
ジョージの父親がジャック・ニコルソン、リサの恋人がオーウェン・ウィルソン。

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ロマンチック・コメディーの定石通り、二人は恋に落ち、やがて立ち直るきっかけを掴んでいくという展開だが、さすがブルックス監督、いくつかのシーンで流れるせつない時間が、なんともいえず味わい深い。

例えば、リサが、セラピーをすすめられ、初めて精神分析医のところにやってきたシーン。

やっぱり性に合わないと、部屋を飛び出そうとして立ち止まり、一つの質問をする。
「先生は今までの治療の中で、どんな状況の人にも当てはまる、心の助けになる言葉があった?」

すると医師はこう答える。

「あるとも。『自らの心に正直になる方法を学びなさい』だ」

それはとても難しいと言うリサに、医師はこう言うのだ。

「ここに来るのも、ここから去るのも決断が必要だったはずだ。君は、君が思っているよりもずっと強い人間だと思う」

これを聞いて、リサは来てよかったと思うのである。

「人生はたった一つのきっかけで回り始める」というのは、重大な決心をしたジョージが、リサの誕生日に言う言葉である。

出番は少ないものの、ジョージの友人カップルのプロポーズ騒動が、意外に笑えて、そして、泣かせる。

 
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『ツリー・オブ・ライフ』

本年度のカンヌ映画祭でパルムドール受賞作品、テレンス・マリック監督の『ツリー・オブ・ライフ』を観た。

何かと話題なのは、半数以上の人が理解不能で退屈極まりないとの感想を述べていること。
一方で、映画史に残る一本だと評価する人もいる。

問題の一端は、日本の配給会社の偽証とも言える宣伝内容にあるのだと思う。
確かに、久々、途中で退席して出ていく観客を何人も見た。

自分は後者だが、それにしたところで、大画面の映画館でなければ最後まで観ることは難しかったかもしれない。

いい意味でも悪い意味でも、例えばキューブリックの『2001年宇宙の旅』やコッポラの『地獄の黙示録』のように、長く映画史の中で語られ、論じられ続ける作品になるではないかと思う。

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ここ最近、ちょっとしたスピリチュアルブームの自分は、答えのない大きな問いに囚われている。

自分がここに存在している意味はなんなのか。
壮大な宇宙の動きが、ちっぽけな存在の人間の運命に、どうしてリンクしているのか。

ちょうど前日の夜も、東の空にひときわ明るく輝く木星を見ながら、気の遠くなるような物思いに耽ったばかりだ。

言うならば、そういった問いに、まさに真正面から向き合ったのが本作ではなかろうか。

自分には、この映画が描こうとしているのは、まさしく「神」だと思える。
言葉を換えれば、人知を超えた大いなる力の存在、もしくは「祈り」とでも言おうか。

善良に生きていても、突然不幸が訪れるのはなぜなのか。
なぜ世界は不条理なのか。
人は人と、時と、どう繋がっているのか。

この映画を観ることは、それを考えることである。

冒頭のモノローグで、いきなり目頭が熱くなる。

「人が生きる道は二つある。世俗に生きるか、神の恩寵に生きるか」

それを体現するかのように、一つの家族の苦悩が描かれるが、彼らの葛藤は自分にはとても些細なことのように思える。
ちっぽけな人間の、ちっぽけな営みにすぎない。
大いなる力の前で、人は、ただ問いかけ続け、生ききるのみ。

皆既日食、潮の満ち引き、そして、ラストシーンで天国のような、どこまでも続く遠浅の砂浜に集う人々の中で、彼ら家族はほんの一部だ。

主演はブラッド・ピットとショーン・ペン。
母を演じたジェシカ・チャスティンと子役の、物言わぬ目が素晴らしい。

本作を観ることは、一曲の壮大な讃美歌を聞くのに似ている。

映画館を出て帰宅する道、いつもの風景がどこか違って見えた。

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『白いリボン』

2009年のカンヌでパルムドールを受賞したミヒャエル・ハネケの大人の寓話。

最初の1時間は何度も観るのを止めようかと思ったが、2時間半観終わると、確かに傑作だと納得してしまう。

舞台は、第一次世界大戦直前の、北ドイツにある小さな村だ。
男爵が、村人の半分を雇用し、支配している封建制が生きている。
主人公らしき主人公はいない。
村の不穏な人間関係が、教師の回想の形をとり、おとぎ話のように語られる。

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仕掛けられた針金にひっかかり落馬する医師、彼の子供たちの面倒をみる助産婦、納屋の床が抜けて落下死する小作人の妻、何者かによる男爵の息子の虐待、教師と乳母の恋、納屋での火事と小作人の自殺など……。

いくつもの不可解な事件と絡み合った人間関係は、少しずつ明らかになっていくものの、謎は謎のまま解かれることなく映画は終わってしまう。

静かに浮かび上がってくるのは、絶対的権力者として、家族を支配する父親の存在だ。
彼らは、医師や牧師といった社会的な仮面を持つがゆえに、偽善性は一見覆い隠されているが、奥からは確かに嫌な腐臭がしてくる。

白いリボンとは、牧師が、子供たちの躾のため、純粋無垢の象徴として腕に巻くものである。
巻かれたリボンは、まもなくこの国に台頭する、ナチの党員たちの腕章を思い出させる。

力で抑圧され、育てられた人間は、いとも簡単に力を崇拝するようになるのだ。

物語に出てくる子供たちが、ナチズムの拡大を支えた世代にあたることを思うと、この村は、当時のドイツが抱えていた闇の萌芽を象徴しているのかもしれない。

語り部である教師は、一見善良で、正義感に燃えているように映る。
ところが、観終えると、何やら嫌悪感を覚えるのも不思議だ。

濃淡の濃いモノクロの映像は、時折、息を飲むほどの美しさである。

 

石井ゆかり・鏡リュウジ『星占いのしくみ』

西洋占星術が密かなマイブームである。

具体的に自らのホロスコープを解読してみようと、入門書として有名なルル・ラブア著『ホロスコープ占星術』を読んでみたのだが、自分には難解過ぎてさっぱりわからず。
占星術とは、高度に数値化された科学そのものだった。

序章が素晴らしい。

「アストロロジーは、人間を宇宙的存在として捉えます。大宇宙の中の小さな地球という星に住むすべての生物や無生物は、宇宙を構成している元素と同じもので作られています。それは人間も同じです。(中略)深く人間の魂の奥底を探ってみれば、人間の個人の意識も宇宙意識とどこかでつながっていると言えるのです」

お盆休みに読んだ本が、石井ゆかり・鏡リュウジ著『星占いのしくみ』。

占星術界で、絶大なる人気を誇る二人。
興味深いのは、星占いの理論ではなく、占星術師として、どういった立場でホロスコープを読んでいるのか、という秘密だ。

「運勢のいい悪いはどうやって決まるのか」
「星占いは当たるのか」など。

あとがきで、本書は占いの「お里ばらし」の試みであると語っている。

さらに、石井ゆかり本人が、どのようなきっかけで占星術を始めたのかという個人的な話まで。

彼女の「筋トレ」は毎週かかざずチェックしている自分。
ちなみに、大きく自分を変えた、昨年3月の大失恋の週は、こう書いてあった。

「なにかが貴方の体の中で
音を立てているような気がするでしょうか。
なにかが具体的に力強く
そろそろ動き出しそうな感じがするでしょうか。
今の貴方は、あるラインの手前に立っています。
そのこちら側の世界と、向こう側の世界は、
大きく違っています。
今週から来週にかけて
貴方はそのラインを越えることになります」

最近、はっきり理解したのだが、占いの当たりハズレは、しばらく時間が経ってみないとわからないということである。


『愛する人』

原題は”Mother and Child”。
母と子をテーマに、三つのストーリーが並行して進む。

一つは、14歳で出産した娘をすぐ養女に出し、その後の人生を悔恨の中で生きてきた母の物語。

二つめは、養女に出されたほうの娘の物語である。

37年もの間、二人はお互いを知らずに生きている。
それぞれに孤独で、幸せとはいえない毎日……。
母カレンを演じたのがアネット・ベニング、娘エリザベスをナオミ・ワッツ。

三つめは、子供に恵まれず、養子をとろうと苦心する黒人女性ルーシーの物語だ。

このほかにも、さまざまな母と娘の形が登場し、テーマを重層的に語る。
3人の主人公はむろん、ささいな脇役までもが深い陰影を伴って、実に丁寧に描写される。

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脚本・監督はロドリゴ・ガルシア。
前作の『彼女を見ればわかること』『美しい人』同様、女性の心の微細な揺れや葛藤を、優しく、静かに追っていく演出に引き込まれた。

劇中、3度、同じ言葉が、別の人物のセリフとして出てくる。

「大切なのは"血"ではなくて、共に過ごす時間だ」

本作の真のテーマであることはもちろん、血は繋がっていても離れて暮らすカレンとエリザベスに対する、問いかけでもある。

三つの物語がどんなふうに収束するのか、カレンとエリザベスの関係がどんな結末を迎えるのかは、やはりここで語らない方がいいだろう。

「今、二人の運命が交わったのよ」

終盤、ある一人の女性がこう言うが、なにもカレンとエリザベスの再会を指すわけではない。
しかし、確かな形で、二人の人生が交差する。

悲しみと癒しが共存するエンディングが胸を打つ。