想元紳市ブログ

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『ソーシャル・ネットワーク』その2

デヴィッド・フィンチャー監督の『ソーシャル・ネットワーク』は、今年劇場で観た中では三本の指に入る好きな映画だ。
改めて観直して、やはり個人的には、オスカー作品賞の『英国王のスピーチ』よりはるかに優れていると思った。

Facebookの創始者、マーク・ザッカーバーグを中心にした人間ドラマである。

映画は、マークと恋人のエリカが、バーでビールを飲みながら、延々と早口で会話するシーンで始まる。
「中国の天才の数はアメリカより多い」といった他愛もない話題から始まり、やがてはマークが手ひどくエリカを侮辱してしまうのだが、怒ったエリカはこういって席を立つ。

「あなたは自分がオタクだからもてないと思っているだろうけど、違う。それはあなたが最低の男だから」

一人、テーブルに残されたマークの表情は、彼が映画の中で最もわかりやすく感情を露呈する場面だ。
冒頭の長い会話のシーンは、本作が、マークの人間としての苦悩を描くものであることをはっきり示唆しているのである。

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また、マークとエドゥアルド、親友だった二人の若者が、それぞれ別の道を歩んでいく青春ストーリーという見方も可能だ。

二人で始めた小さなネットワークが、多くの人間を巻きこみ、巨大に膨れ上がるにつれて、二人の考え方の乖離は否応なしに拡がっていく。

マークを演じたジェシー・アイゼンバーグは、二人の関係をこう説明する。

「誰でも家でパーティーをするときには、親に出て行ってもらいたいものだ」

フィンチャー監督も述べているとおり、本作の主役はあくまでも10代の終わりから20代前半の、まだ子供の部分を残した若者たちである。
彼らが、子供の純粋さを失っていく過程を描いた物語だと、言い換えてもいいかもしれない。

「あなたは悪い人じゃない。ただ悪いふりをしているだけ」

終盤、訴訟を終えて一人部屋に残ったマークに、そう声をかける女性弁護士は、少ない出番ながら、テーマの重要な語り部である。

彼女は、新人弁護士で、歳も若く、今回も上司の横に座っているだけの立場であるが、周囲の熟練弁護士たちには見えない、マークの本質をしたたかに見抜いているのだ。

ラスト、暗い室内でマークが自らのPCで開く画面は、Facebookのエリカのページである。
絶交され、Facebookすらも子供の遊びだとからかっていた彼女が、自ら進んで登録してくれていたことが、マークの表情にささやかな喜びをもたらして映画は終わる。

 
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『藍宇 〜情熱の嵐〜』その4

1年半ぶりに、『藍宇 〜情熱の嵐〜』を観直した。
その間にプライベートであった諸々を思い出したりして、ダラダラと泣きながら観てしまった。

新宿二丁目でもストレートの男に恋したゲイの悲哀については、たまに耳にすることはあるが、この映画を観ると、相手がバイセクシャルの場合、さらに苦痛を伴うものではないかと容易に想像できる。
そこには、ささやかな可能性と希望があるからだ。

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北京を舞台にした、二人の男の10年に渡るラブストーリーを、今回は以前と少し違った視点で観た。
つまり、裕福で挫折を知らない、享楽的な男が、ゲイの青年との恋愛を通して、人間として成長を遂げる物語として。

女性との結婚と離婚、逮捕と投獄といった紆余曲折を経て、ハントンはやっと大切なものに気づく。

それまでの彼は、よく言えば、子供のような素直さを持った男だった。
ときに能天気なぐらいの楽天家であり、悪意はないが故の残酷さや、欲望に忠実で我慢を知らない無邪気さなどは、育ちの良さからくるものだったろう。

極端な言い方をしてしまえば、今までランユーこそ純粋で無垢なる存在だと思っていたが、無垢なのはむしろハントンの方ではなかったか。

だから、義弟からビジネス上の狡猾な助言をしてもらっても真剣に考慮することはなく、また仕事のパートナーであるリウが妻の病に直面し、深く沈んでいても、決してその苦しみを真に理解してはいない。

結婚相手のリンが、ハントンに言う。

「伯母は鈍感な男の方がいいという」

リンは、暗にハントンのことを鈍感だと言っているのである。

結婚に際しても、「あなたの心の中の葛藤を家庭に持ち込まないで」と既にハントンの迷いに気づいているあたり、相当のしたたかさと洞察力を持った女性であることがわかる。

しかし、ハントンの無垢さ、鈍感さは、それゆえに魅力的なのである。

純粋で一途ではあるけれど、感情を覆い隠し、その分内面では、複雑に物事を思いつめるランユー。
そのような人間が、ハントンのようなタイプの男に魅かれないはずはない。
苦労することはわかっていても、自分にはない奔放さは抗いきれない魅力を放つのである。

ようやくハントンがランユーの大切さに気付き、愛が成就するかと思った瞬間に悲劇が待っているというのは、あまりにせつなすぎる。

そのことによって二人の愛は、精神的な高みにまで昇華されるのだが、こんな形でしか、汚されることのない純愛は成立しないというのだろうか。


野地秩嘉『TOKYOオリンピック物語』

1964年に開催された東京オリンピックを裏で支えた人々の物語。
ノンフィクション『日本のおかま第一号』の著者、野地秩嘉の最新作である。

「本書を書いたのは新しい何かへの挑戦、そして、がむしゃらに突き進むことの意義をあらためて提示したかったからだ」

自分は60年代70年代の日本人のありように、ある種の羨望を抱いている人間である。
そうでなかったとしても、今の日本がおかれている状況を考えるとき、彼らを振り返って、得るものは大きいはずだ。

本書で取り上げられるのは、亀倉雄策らデザインチーム、データのリアルタイムシステムを作り上げた日本IBMの竹下亨、選手村の食事を準備した帝国ホテルの村上信夫、記録映画『東京オリンピック』を監督した市川崑ら。

独自のオリンピックロゴマークが製作されたのは、東京オリンピックが初めてだったらしい。
また、場所や用途を絵文字で示すピクトグラムも、本大会で初めて製作され、その後、全世界に広がった。

当時の日本の先鋭グラフィック・デザイナー10数人が集まって、3ヶ月かけてつくったのだという。
亀倉雄策をトップに、田中一光や福田繁雄など、後に日本のグラフィックデザインの黄金時代をつくるドリームチームだ。

記録映画は、当初の予定だった黒澤明に代わり、監督を務めたのが市川崑。
脚本を書いたのが詩人の谷川俊太郎。

完成した映画を観た政治家の河野一郎が「芸術的ではあるけれど、記録性をまったく無視したひどい映画」だと酷評、逆に女優の高峰秀子が市川を擁護する側に回ったりなど、賛否両論巻き起こった。

ところが、映画館で上映されるや空前の大ヒットを記録し、観客動員数は、現在でも『千と千尋の神隠し』に続き歴代2位だとは驚く。

早速、DVDで鑑賞したのだが、個人的には少々退屈だった。
今観ると、芸術的というよりむしろ記録的、前衛的だと言われたカメラワークもずいぶん色あせて見える。

当時、学生アルバイトとして、撮影のアシスタントを務めたカメラマンの言葉が印象的だ。

「東京オリンピックにいたカメラマンはみな大人でした。あの人たちはそこにいるだけでこわかった。あの頃の大人はこわかった。そんな大人たちが働く緊迫した現場でした」

デザイナーやシェフに限らず、裏を支えたスタッフの報酬はごくわずかだったという。
彼らを支えていたのは、新しく生まれ変わった日本の力を全世界に示したいという情熱に他ならなかった。

今の日本に必要なのは、そんな情熱をもった大人たちだと思うのだがどうだろう。