想元紳市ブログ

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浅田次郎『あじさい心中』

『あじさい心中』は、短編集『薔薇盗人』に収められた一編。

浅田次郎の小説は、あざといストーリー仕立てが鼻について、たびたび読んでいて白けてしまうことがある。
特に、短編において顕著な気がする。

そんな中、知人に薦められて読んだ『あじさい心中』は、渋い情感の漂う、美しい短編だった。

リストラされた中年カメラマンの北村。
ある日、ふと間がさしたように、妻子にも告げず、一人、北のさびれた温泉街に向かう。
場末のストリップ劇場で出会った年増のストリッパー、リリィ。

一緒に酒を飲み、リリィの不幸な身の上話を聞いているうち、次第に二人の心は寄りそうようになる。
恋愛とはちがう、人生の盛りを過ぎた中年の行きついた場所で二人の気持ちが交差する。

やがて、リリィがぽつりと北村に呟く。

「お願いよ。あたしと死んでちょうだい」

心中は、結局、別の事件が起こって果たせずに終わる。
翌朝、宿を出てタクシーで駅に向かう北村は、あじさいの咲く一角に立つリリィの姿を見つける。
咲き乱れる花に囲まれて、リリィ自身が純白のあじさいのように見える。

リリィに憐れみの視線を寄せるタクシーの運転手に対し、北村はこう思うのだ。

「それはちがうと思う。リリィは降りしきる雨に腰をたわめ、こうべを垂れて生きているのだろう。そうやって、ずっと咲き続けてきたのだろう」

不幸の中でもひたすら前を向いて生き続けてきたこと、そしてその気高い美しさを知った北村の温かな思いが胸を打つ。


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『愛と追憶の日々』

何度も観ているのに、また先日のTV放送を観てしまった。
いつも同じシーンで笑い、同じシーンで涙してしまう。
改めて名作だと思った。

オーロラとエマは、一風変わった親子だ。
まるで母と娘が逆転したような関係。
ときに姉妹のように、ときに親友のように、反発し喧嘩しあいながらも、深く愛し合っている。
隣人の元宇宙飛行士ギャレットとオーロラの恋、頼りない教師であるフラップとエマの結婚、やがて3人の子供をもうけたエマに深刻な病が見つかる。

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なんといっても、個々のキャラクターの魅力につきる。

気が強く皮肉屋、プライドも高く、それでいて愛情溢れるかわいい未亡人オーロラ。
彼女を演じきったシャーリー・マクレーンには、文句のつけようがないのでは。
デブラ・ウィンガー、ジャック・ニコルソンの演技も、彼らの代表作のひとつに値するだろう。

今回、改めて感じたことがある。
J・L・ブルックス監督の、人間に対する温かな眼差しの裏側に見え隠れする、残酷なほどの冷徹さだ。

例えば、フラップという男の徹底したダメ男ぶり、エマの長男の冷め切った態度、親友パッツィーの自己中心ぶり。

どんな愚か者や問題児にも一抹の救いが与えられていいものだが、彼らには容赦なく、最後まで人間の負の部分を背負わせ続ける。
弱さや愚かさをも含めて、人を愛することが大切だということなのか。

だが、そんなネガティブな彼らがいるからこそ、一旦は破局しながら、看病で憔悴したオーロラをわざわざ遠方から励ましにやってくるギャレットの心優しさが胸を打つ。

本作はアカデミー作品賞を受賞したばかりか、主演女優に二人、助演男優に二人ずつノミネートされ、マクレーンとニコルソンがそれぞれ受賞した。
マクレーンの受賞スピーチが素晴らしいので、You Tubeで一見を勧めたい。

ちなみに、本作のその後を描いた『夕べの星』という続編があるが、こちらはわざわざ観る必要はないと思う。

 

『ヤコブへの手紙』

映画通の知人数人が絶賛していたフィンランド映画『ヤコブへの手紙』。

恩赦を受けて刑務所から出所してきた女、レイラ。
レイラは、不本意ながら、盲目の老牧師ヤコブの家で住み込みで働くことになる。
その仕事とは、ヤコブの元に人々から届く相談の手紙を音読し、返事の代筆をすること。

心を閉ざし、無愛想で人との接触を拒むレイラを、ヤコブは、ただ温かく迎え入れる。
ヤコブと接するうち、そして、ある真実を知ったとき、レイラはやっと生きる希望を見出す。

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物語の登場人物はこの二人、そして、手紙を届ける郵便配達の男だけだ。
上映時間75分という短い時間のなかで、静かに生の意味を問いかけて、映画は終わるのである。

だからこそ、映画では省略されている裏側の物語に、様々な想像をかきたてられる。
やや不可解な郵便配達の男の存在など、そのもっともたるものだ。

心を打たれたのは、レイラより、むしろヤコブ自身の変化である。

レイラが来てしばらくすると、なぜか人々からの手紙が一枚も届かなくなる。
唯一の生きがいをなくしたヤコブは、日に日に体調を崩し、死すら意識するようになる。

これまで、手紙によって人々の救済をしてきたつもりだったが、実は、そのことで生かされ、救われていたのは自分の方だったと、このとき初めて気づくのである。


吉田修一『長崎乱楽坂』

久しぶりに読み返した吉田修一の『長崎乱楽坂』。

荒くれた男たちが出入りするヤクザの家に生まれた兄弟、駿と悠太。
幼い頃から性と暴力に触れ、やがてそれぞれが自我に目覚め、成長していく。

改めて、エロティックな小説だと思う。
じっとりと滲む汗、むせかえるような体臭、そして、充満するホモセクシャルの香り。

直接的な記述は一か所もなく、そこはかとなく暗示しているだけなのに、このムンムンと漂う同性愛的官能といったらどうだろう。

特に、叔父である正吾の色気は、明らかに同性愛的な視点から描かれていると思う。

若くして自殺したもう一人の叔父は明らかにゲイだったと推測できるし、成長した翔の同性愛的性向も明らかである。

こちらの側の人間ならピンとくる描写や小道具たち。

物語は、翔を中心に描かれるが、最終章は突然、弟の悠太が取って代わる。

この鮮やかな構成は、見事というほかないが、それによって、敢えて匂わすに留めてきた同性愛のテーマが、さらに土の奥深くに覆い隠されてしまうのである。


『女系家族』

細雪』に続き、大阪船場物といえば『女系家族』。
原作は山崎豊子である。

老舗問屋、矢島家。
主である父親の死後、三姉妹と妾が遺産をめぐって骨肉の争いを繰り広げる。

三姉妹に京マチ子、鳳八千代、高田美和。
妾に若尾文子、叔母に浪速千栄子。

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とりわけ、浪速千栄子の演技が秀逸だ。
いかにも大阪人らしい狡猾でしたたかな中年女を演じて、抜群にうまい。

例えば、初めて矢島家に挨拶に来た若尾が妊娠していることを見破り、着ていた羽織を破って問い質すシーン。
若尾の妊娠を確認しようと4人で家まで乗り込み、布団に押さえつけて、強引に連れてきた医者に検査させるシーン、など。

登場人物たちは、脇役に至るまで皆揃って腹黒い。
それでいて、一人として嫌悪感を抱かせるような人物がいない。
そこに、爽快感すらあるのは、基本姿勢として、人間とは欲深いもの、という事実をあっさり受け入れているからだと思う。

まだ一番純粋な末っ子は、友人とゴルフをしながら言う。

「遺産分けもちょっとスポーティーですのよ。スリルがありますねん。誰でも欲のない人間てないさかい。……あたしかて、車やヨット買うて、みんなで遊びまわったら楽しいやろ思うて、頑張ってますねん」

この能天気とも言える明るさ。
それは、この時代の日本人の持っていた潔さ、健全さ、でもあるのだろうか?

末娘を「こいさん」、次女を「中姉ちゃん(なかあんちゃん)」と呼ぶ粋な習わしは今もあるのだろうか?

質の高い日本映画が量産されていた時代で、撮影は宮川一夫、脚本が依田義賢。

何度かテレビドラマ化されているが、自分は一度も観たことがない。
この映画版を越えるものがあったとは到底思えない。

数年前には、米倉涼子主演でドラマ化されたが、舞台を現代の東京日本橋に置き換えたセンスには、唖然とする。