想元紳市ブログ

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桐野夏生『対論集 発火点』

桐野夏生は、『OUT』『柔らかな頬』『グロテスク』など、一頃は好んで読んだのだが、ここ最近はあまり手にしていない。

熱烈な読者というわけではなかったが、この『対論集』は、相手が、松浦理英子、林真理子、小池真理子、柳美里、坂東眞砂子とくれば、読まずにはいられない。

人気の女性作家同士の対談は、さすがに読み応え十分だ。

林真理子との対談では、何気に話がかみ合わず、さりげなく火花が散る。

桐野「一度伺いたかったんだけど、林さんて偽悪的なの? それとも露悪的なの?」
林「私、下世話な話、大好きなんですよね。桐野さん、若いとき女の人とピーチクパーチクするタイプじゃなかったんじゃないですか。くだらないこと喋る人たちが近くにいなかったとか」

また、小池真理子とは好みの男性像を論じ合う。
俳優のハーベイ・カイテルがセクシーだということで二人は一致する。

桐野「胴体が太いのがよかったですね。腕をまわしても届かないくらい」
小池「手と手が届かない。で、(ピアノ・レッスンの)相手役の女優のホリー・ハンターがとてもか細い。あの華奢な指の上に彼のガシッとした指が重なるシーンなんて、本当にたまらなかった」

「情けない男がいい」
「余裕をなくしている男は、本当に色っぽい」
「LEONなんか読んで、意味もなくやたらカッコつけているのは、本当にカッコ悪い」

メディアでちやほやされている美やカッコよさの基準を、容赦なくぶった切って爽快だ。

さすが、このレベルの大人の女性になると男を見る目も独特で、そして確かである。


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『ソーシャル・ネットワーク』

オスカー作品賞の呼び声も高い、デヴィッド・フィンチャー監督の最新作。

スピーディーな会話を連打する脚本、意表を突く編集、素晴らしい音楽で、ラストまで一気に走りぬける。
今の映画の一つの新しい形を観た気がする。

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ハーバード大学の一学生であったマーク・ザッカーバーグが、Facebookの立ち上げを思いつき、世界最大のSNSにまで成長させるまでの道のり。
描かれるのは、創設の裏話、そして愛や裏切りの交差する人間ドラマだ。

当事者やFacebook社からの協力は一切得られず製作されたそうだが、事実だろうと脚色だろうと、一人の男のドラマとして、じゅうぶん面白いと自分は思った。

天才的頭脳と人間的欠点、マーク・ザッカーバーグという生身の人物像が見事に生きているからである。

全世界に5億人のネットワークを築くことは可能でも、たった一人の親友も、大切な恋人すら、つなぎとめておけないという、どうしようもない理不尽さ。
それは本人の意志とは別のところで、例えば「成功」という、大いなる力に飲み込まれるように失われていく。

規模こそ違え、誰でも一度や二度味わったことのある、人間一人の無力感が、せつなく迫る。

ラスト、訴訟を終え、一人部屋に残るマークに、女性弁護士が声をかける。

「あなたは悪い人じゃない。ただ悪いふりをしているだけ」

暗い室内でマークが自らのPCのFacebookを開くエンディングは見事だ。

ビートルズの“Baby, You Are A Rich Man”が流れるエンドクレジットを見ながら、なんともやるせない想いに襲われた。

 

福島次郎『バスタオル』

福島次郎というと、三島由紀夫との赤裸々な同性愛関係を綴った『剣と寒紅』で知られるが、本作は1996年に発表され、初めて芥川賞候補にもなった小説である。

このとき、ホモフォビアで知られる石原慎太郎が、なぜか最も強く推した作品である。

「ここに描かれている高校教師とその生徒との関わりは間違いなく愛であり、しかも哀切である。……この作品だけが私には官能的なものとして読めた」

描かれるのは、高校教師の兵藤と教え子である墨田の、一年に渡る同性愛関係とその後である。

兵藤は、実際、高校教師をしていた福島自身の分身だと見て間違いないだろう。

例えば、次のようなくだりは、生々しい実感にあふれている。

「ことのおこりは、墨田のあまりにも美しい寝顔である。兵藤が、それに吸い寄せられた。が、その前提に、男色者としての兵藤の欲望があった筈だ。偶然のことから、その欲望は水路を得た。初めは肉体的欲望からだったかもしれぬが、繰り返すうちに、親しみと愛情がわいてきていた。そして、こうなった今、自分が本当に求めている根元的なものは、兵藤自身を優しく受け入れてくれるものなのではないかと気づいていた」

別れを切り出されたときの兵藤の動揺も、あまりにリアルだ。

「相手が薄情な別れ方をしようとするので、突然、それに負けぬ非情な別れの切り札を出してみせたくなったのだ」

そのことで、兵藤はかえって苦しむ。

読後感は正直あまりよくない。

別れて2週間後、部屋掃除をしていた兵藤の姪が偶然発見する、異臭を放つ物体。

1年間行為を続けてきた二人が、行為の後に汚れを拭っていたバスタオル。
別れて数日後に、1年の汚れを落とそうと水を張ったバケツに浸けてあったものだった。

しかし、水に浸けたバスタオルが、悲鳴を上げるほどの異臭を放ちはしないことを我々は知っている。

それは、まぎれもなく福島自身の心が放った異臭なのだ。

単行本に収録されたもう一編は、ともに同性愛の兄弟を描いた『蝶のかたみ』。
自分は、『バスタオル』の方を好む。


『春との旅』

自分を引き取ってもらえないかと親戚を訪ねて旅する老人と孫娘。
宮城から北海道に渡る、二人のロードムービーである。

元漁師の忠男は、妻に先立たれ、娘も5年前に自ら命を絶ち、孫の春と二人で暮らしてきた。
どうやら、かなり我儘に生きてきたようで、今も相当頑固だ。
独り上京して就職したいと言いだした春に、腹を立ててのことだったが、旅をする間にお互いにかけがえのない存在であることに気づいていく。

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二人を演じるのは仲代達矢と徳永えり。

忠男の兄夫婦に大滝秀治と菅井きん、姉に淡島千景、弟夫婦に柄本明と美保純、弟嫁に田中裕子、既に再婚した春の父親に香川照之、その妻に戸田菜穂。

これだけの名優が入れ換わり、渋い演技を見せるのだから、それだけでも見応えじゅうぶんである。

そして、さりげなく垣間見える、それぞれの家庭のそれぞれの事情。
みな、のっぴきならない状況の中でも、苦心して毎日を生きているのだ。
兄弟たちは、表面上は口汚く罵り合いながらも、奥底で流れているものは温かく優しい。

名優に囲まれて、徳永えりのフレッシュな演技が輝く。
メイキング映像を見ると、小林政宏監督から相当厳しい演技指導を受けていたことがわかる。

観ているうちに、忠男と春は、実は似た者同士だという気がしてくる。

足を引きずりながら歩く忠男と、がに股で後を追いかける春の足取りは、ぴたりと調和している。


蓮見圭一『水曜の朝、午前三時』

解説に「およそ四年ぶりに読み返してみたけれど、実にいい小説である。そのことは読む前からすでにわかっていたけれど、読み返してみてあらためて"いい小説だなあ”としみじみと感じ入ってしまった」とあるが、まったく同感だ。

蓮見圭一著『水曜の朝、午前三時』。

45歳で逝った直美という一人の女性が、娘の葉子のために遺した4本のテープ。
そこには、今まで語られることのなかった若い頃の激しい恋の物語があった。

「ひと言で語れない真実などどこにもないのだから、大部分は弁解と取られるかもしれないし事実その通りなのですが、世の中には言葉を尽くさなければ伝わらないこともあるのだと信じて始めることにします」

時は70年代。
大阪万博のコンパニオンをしていた直美は一人の男性と出会い、愛し合うようになる。
しかし、男性についてのある事実を知った直美は、彼の元を去る。
その後、別の男性と結婚し、葉子をもうける直美が、過去の自分を振り返って考えること。

「人生をかけて宝物探しをしてきた」

「運命というものは私たちが考えているよりもずっと気まぐれなのです。昨日の怒りや哀しみが、明日には何者にも代え難い喜びに変わっているかもしれないし、事実、この人生はそうしたことの繰り返しなのです」

物語は、葉子の夫である「僕」が語り部になる形で構成されている。
プロローグで、テープの経緯が説明され、エピローグで、直美が亡くなったその後が語られる。
この「僕」、葉子と知り合う前から、直美が憧れの女性だったという設定だ。

読み終えると一本の映画を観終わったような満足感がある。
直美が、人生について、恋愛について、綴る言葉の数々が、強く心に残る。
至るところに散りばめられたアフォリズムが、本作の魅力でもあるのだ。

タイトルの『水曜の朝、午前三時』は、サイモン&ガーファンクルの曲名からとられており、物語の中で重要な役回りとなる、「死ぬべきではない」一人の女性が死んだ時刻である。

直美が好きなキンケゴールの言葉「人間は選択して決意した瞬間に飛躍する」は、そのままこの小説のテーマである。