想元紳市ブログ

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川本三郎『いまも、君を想う』

『いまも、君を想う』は癌で逝った妻を綴った回想記。

著者の川本三郎の映画評論は何冊か読んでいる。
評論というより、エッセイと呼んだほうがふさわしい味わいの映画論が好きだった。

本書も、終始、抑えた文章に徹しながら、亡き妻に対する哀惜が溢れ、何度も涙で文字が霞む。

やたら泣き虫の夫とは対照的に、結婚式でも、映画を観ても、決して涙を見せなかった妻。
ところが、ある日、病室で新緑が見たいと言い出し、車椅子で病院前の小さな緑地に連れていく。

「家内は木々の若い緑と、遠くを走る中央線の電車を黙って見ていた。そして突然、静かに泣いた。初めて見る、感動の涙とは違う家内の涙だった。もう死が近いことを自分でも知ったのだろう。私はただ家内を抱くしかなかった」

一人残された生活についても、寂しいとか、苦しいといった言葉の代わりにこう書く。

「最近、眠る新しい楽しさが加わった。夢で時折り、家内に会えること」

江藤淳の『妻と私』しかり、自分は最近、どうしてこの手の本に手がのびるのだろうか。

何十年も連れ添った妻を看取るという体験は、ゲイである自分にとってあまりリアリティのない話である。

それは、大変な痛みと喪失感を伴うものであろうし、その後の孤独は我々の想像をはるかに越えるものだろう。
それでも、深く長い関係を築くことが難しいゲイの目からすると、やはり羨ましいとしか言いようがない。

はるか昔、当時つきあっていた相手から言われたことがある。
若い間は自由で楽しいけれど、歳とったゲイがみな直面しなければならない問題は孤独だ、と。

当時の彼はまだ30代後半だった。
その歳をとっくに越えた、今の自分が、しみじみと、彼の言葉の意味をかみしめる。


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『恋するベーカリー』

『恋するベーカリー』とは、随分陳腐な邦題だが、原題”It's Complicated”も負けず劣らず安っぽい。
なんでも公開数週間前にやっと決まったタイトルだそうだ。

主人公は、メリル・ストリープ演じる、ベーカリーを営む離婚10年目の中年女性。
浮気相手と再婚した元夫からヨリを戻そうと言い寄られ、関係を持ってしまう。
同時に、やはり離婚の痛手を引きづる誠実な建築家の男に魅かれはじめる。

元夫にアレック・ボールドウィン、建築家にスティーブ・マーティン。

タイトルに反し、物語そのものは、落ち着いた大人のラブコメディーで楽しめた。

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単なるドタバタのコメディーではなく、たっぷり大人の情感が描かれ、そうしたシーンでは、ゆったりとしたせつない時間が流れる。

離婚による喪失から立ち直り、それを内側に抱えて生きている大人たち。

自宅に招いたデートをすっぽかされたメリル、決して泣いたり落ち込んだりせず、淡々と皿を片づけ、部屋の照明を消して歩くシーンがいい。

コメディー映画の彼女は、いつもやりすぎ感が息苦しくて、あまり好きではなかった。
ところが、本作では、自然体の演技が、『恋に落ちて』の頃の彼女を彷彿とさせる。

スティーブ・マーティンは、コメディーのセンスを抑え、物静かで繊細な男を好演。

「愛する女性に裏切られることには、もう二度と耐えられない」

デートで、女性にそう言ってしまう男である。

自己中心的で、子供のように無邪気だが憎めない元夫、アレック・ボールドウィンははまり役だ。
若い頃は、ハンサムで強靭な肉体がセクシーな役者だったが、今は見事なメタボ中年体型である。
全裸になって元妻を誘惑するシーンが笑える。


『ルージュ』

以前からずっと観たかったスタンリー・クワン監督の初期の作品『ルージュ』。

主演は、レスリー・チャンとアニタ・ムイ。

娼妓と裕福な青年は、実らぬ恋から心中。
しかし、50年後、あの世で青年に会えなかった娼妓は、彼を探しにこの世に戻ってくる。

女の執拗なまでの情愛と執念。
たまたま彼女に手を貸す現代の若いカップルは言う。

「女は運がいいといい夫に恵まれ、不運だと娼婦になる」

「もう彼女のような愛し方はできない。現代は、女には不幸な時代だ。彼女が羨ましい」

耽美で官能的な雰囲気はゲイテイストにあふれている。

特に娼館のインテリア、薔薇の壁紙、扉のステンドグラスなど。
アニタ・ムイの纏う30年代のチャイニーズドレスの艶やかさ。
メロドラマ風の音楽も、ノスタルジーをいざなう。

冒頭、薔薇の壁紙の前で、ルージュをひくアニタ・ムイの美しさといったらどうだろう。
フラワーという女の名が象徴するように、まるで一輪の花のようだ。

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もともとホラー色の濃かった脚本を、監督はぐっと抑え、よりリアルに人間的に描くことにしたのだという。
その結果、監督の美意識と相まって、不可思議な、ふんわりとした夢の中のような作品に仕上がった。

原作・脚本は『さらば、わが愛』のリー・ピクワー。
本作で、京劇役者に扮したレスリー・チャンを見て、『さらば、わが愛』を構想したのだという。

異色作ともいえる内容で、決して万人受けする映画ではないが、本作品があってこそ、『さらば、わが愛』が生まれ、スタンリー・クワンの後の映画がある。

この映画が公開されてから15年後、2003年は香港映画界にとって悲劇の年になる。
レスリー・チャンとアニタ・ムイという二人の名優をともに40代の若さで失うのである。


中島梓『転移』

昨年、膵臓癌で亡くなった中島梓(栗本薫)の闘病日記である。

未完に終わった130巻の大作『グイン・サーガ』はもとより、彼女の小説も評論もほとんど読んだことのない自分。
ひと昔前、「クイズヒントでピント」で紅組キャプテンを務めた印象だけがいまだに強い。

その程度なので、彼女を語るほどの知識は全く持ち合わせていない。
それでも、この闘病記は物書きとしての壮絶な生き様を感じさせてあまりある。

「私は、表現したい、たたかってもいたいし、突き進んでもいたい。おのれの力を感じたいし、おのれの力をひしひしと感じたときくらい、歓喜を味わうことはない。とうてい出来ないと思っていた枚数を突破して一夜に100枚書きあげたとき。書き上げたものが人々のこころを揺り動かして泣かせたとき」

プロ意識というよりは、過剰かと思えるほどの自意識と独特の自己愛を感じる。
それは例えば、漫研とかコミケに出入りするオタクの女性特有の匂いがしないでもない。

北朝鮮拉致問題での発言が、ひどく批判されたり、独特な物言いや行動が反感を買ったこともあった。

膵臓癌の前にも乳がんで片方の乳房の切除、多額の借金返済、不倫による略奪婚、寝たきりの実弟のこと、自身の鬱病など、相当に波乱の半生であったらしい。

闘病記を読む限り、実母との微妙な確執も垣間見える。
夫や息子との関係も、なにやら普通とはやや異なる印象を受けた。

なかなかに一筋縄では理解できない人物だったことは確かだろう。

病床にあっても、相当の執筆をこなしていた。
昏睡状態になる2009年5月17日までパソコンに向かい、この闘病記の執筆も続けた。

ほんの一文字と、改行マークの連打で終わっているその日の日記は、あまりに壮絶だ。

その日から9日後、中島梓は永眠した。