想元紳市ブログ

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『ダウト あるカトリック学校で』

冒頭、教会で神父が信者たちに向かって説教する。

「確信がないとき、どうするか。それが今日の説教のテーマです」

これは、そのままこの映画のテーマである。
しかし、物語が伝えてくるものはそう単純なものではない。
疑惑と確信、信じること、絆、変化することなど、多くの問いを投げかけ、深い思索を求める。
背景にあるキリスト教的道徳観は、日本人には理解し辛い点もあるかもしれない。

1960年代のアメリカ、ニュージャージーにあるカトリック学校が舞台だ。

神父が少年のひとりに性的虐待をしているのではないかと疑い、次第に彼を追い詰めていく厳格なシスター兼校長、そして、二人の間で揺れ動くまだ若く純粋なシスター。

演技派を揃えた役者たちの迫真の演技は圧巻である。

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神父を演じたフィリップ・シーモア・ホフマン、校長を演じたメリル・ストリープは、さすがだとしか言いようがない。
二つの大きな山に挟まれて、エイミー・アダムスは、可憐な花のような存在だ。
そして、素晴らしかったのが、子供の母を演じたヴィオラ・デイビスという黒人女優である。出番はそれほど多くないにも関わらず、強烈な印象を残す。

物語は、終盤に差し掛かると、次第に悲劇の様相を呈してくる。
しかし、それはおそらく、観客が予期しない形で訪れる。
ラストシーン、メリル・ストリープ演じるシスターの心に訪れるのである。

全編を通じて、重要なモチーフとなっているのは「風」だ。
移りゆくもの、変化といったものの象徴として、映画の至るところに顔を出す。

特典映像にあるメインキャスト4人の対談は必見である。

 
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『藍宇 〜情熱の嵐〜』

ゲイを真正面から描いた香港映画『藍宇 〜情熱の嵐〜』。

2001年の公開で、藍宇(ラン・ユー)とは、主人公の青年の名前だ。
中国で匿名のネット小説として発表され、後に台湾で書籍化された『北京故事』の映画化である。

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貿易会社を営む裕福なハントンと建築を学ぶ学生ラン・ユー。
天安門事件に揺れる北京を舞台に、10年間に及ぶ二人の愛を切々と描く。
せつなく、胸が締め付けられるような痛みに何度も涙がこぼれた。

ゲイの純愛という意味では、『ブロークバックマウンテン』アジア版の趣かもしれない。

ハントンを演じたのが、『インファナル・アフェア』以来、贔屓の俳優、フー・ジュン(胡軍)。
ラン・ユーが、『山の郵便配達』が印象的だったリウ・イェ。

好きなシーンは、2度目のデートでハントンが薄着のラン・ユーにマフラーをかけてあげるところだ。
意図されたカメラワークで、二人が本物の恋に落ちたことがわかる瞬間である。

監督の演出はあえて控えめで、二人の感情の揺れ動きを丹念に追っていく。
ゲイならば、どちらの気持ちも理解できて、苦しくなってしまうだろう。

ラスト、台湾の人気歌手、黄品源が歌うチャイニーズポップスが流れる。
叶わぬ恋の歌、ラン・ユーが好きで口ずさむ曲だ。
この曲が流れ、ラストシーンからエンドクレジットに続く映像には、何やら深い意味が込められていそうだ。

クランクアップ後も二人は役から抜け出せずに親密だったため、スタッフが心配し、しばらく距離を置くことにしたのだという。
が、胡軍は、本作で妹を演じた女優と結婚していた。

ぜひ、メイキングも観てみたい。
原作も読んでみたい。

ベッドシーンで入る、たくさんのぼかしは酷いの一言につきる。

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エリザベス・キューブラー・ロス『人生は廻る輪のように』

世界的ベストセラー『死の瞬間』で有名な精神科医エリザベス・キューブラー・ロスの自伝『人生は廻る輪のように』。

死というものの概念を変えたと言われる彼女。
現在のホスピスの原型を作ったとも評価されている。

内容は、シャーリー・マクレーンの『アウト・オン・ア・リム』によく似ている。
だが、輪廻や臨死体験のことを詳しく知りたいなら、『死の瞬間』はじめ、彼女の他の著作を読んだ方がいいだろう。
本書で綴られるのは、20世紀を生きた一人の女性の闘いの記録だ。

驚いたのは、生涯を通じて失われることのなかった強靭な精神である。
幼い頃にシュバイツァーのような医者になりたいと決心し、それを成し遂げる。

スイスに生まれ、世界大戦中から医療に携わり、大学に入って医師になる。
結婚し、渡米したあとは、末期医療と死の科学の探求、やがて、精神世界にのめり込む。
チャネリング、夫との確執と離婚、ヒーリングセンター創設、エイズ孤児救済など、その後の半生も波乱に満ちている。

彼女が体験から学び、頑固なまでに実践した人生哲学。

「望むものがあたえられるとはかぎらないが、神はつねにその人が必要としているものをおあたえになる」

「人生に保証はない。だれもが難問に直面する。直面することによって学ぶようにできている」

「いのちの唯一の目的は成長することにある。究極の学びは、無条件に愛し、愛される方法を身につけることにある」

本書が日本で出版されたのは1998年。

生前、自分は2003年に死ぬと予言していたそうだが、わずかにずれて、2004年、アリゾナの自宅で亡くなった。


『川端康成と東山魁夷 響きあう美の世界』

『川端康成と東山魁夷 響きあう美の世界』を読んだ。

二人の往復書簡、筆跡写真、それぞれが美について語った随筆、また東山の代表的な作品、川端が所有していた多くの美術品の写真が収録された、大変贅沢な一冊である。

川端康成が、国宝3点、またロダンやルノアールに至るまでを所有した美術品コレクターだったことを初めて知った。
借金を省みず買い求めていたらしい。

川端の自殺に際し、東山が雑誌に寄せた追悼文『星離れ行き』が心を打つ。

天草を旅していたときに、川端の死を知った。
ちょうど死の時刻、旅館の窓から尋常でない美しい星を見つけ、思わず妻を呼んでじっと眺めていたこと、またそのような不思議な感覚は、弟が死んだとき以来2度目であったという。

二人の共通点は、ともに己を「ハイマートローゼ(故郷喪失者)」だと感じていたことだと自ら分析している。

「外国の町から日本へ帰る時が来ると、その外国の町に郷愁を感じる。(中略)根っからの浮浪、流離、無頼のせいか」

どことなく共感できる感覚だ。

心に残った、東山の言葉。

「いま、考えてみても私は風景画家になるという方向に、だんだん追いつめられ、鍛え上げられてきたといえる。人生の旅の中には、いくつかの岐路がある。中学校を卒業する時に画家になる決心をしたこと、しかも、日本画家になる道を選んだのも、一つの大きな岐路であり、戦後、風景画家としての道を歩くようになったのも一つの岐路である。その両者とも私自身の意志よりも、もっと大きな他力によって動かされていると考えないではいられない。たしかに私は生きているというよりも生かされているのであり、日本画家にされ、風景画家にされたともいえる。その力を何と呼ぶべきか、私にはわからないが」

「生かされている」という感覚は、どう生きていいかわからない今の時代を生きるヒントになるかもしれない。


『100年インタビュー・岸惠子』

NHKの人気シリーズ『100年インタビュー』。
今回は岸惠子だ。

美しく歳を重ねた77歳。
好奇心があって、まだ様々なものを見たり体験したいと思っているので、歳をとっている暇がないそう。

1時間半のインタビューの中で、女優のこと、結婚のこと、旅のこと、日本のことを語り尽くす。

その中で印象的だったもの――。

アフリカなど世界の僻地を旅することが好きだった。
旅行前には2ヶ月半かけて9本の予防注射を打ち、45日間の旅程で4回しかお風呂に入れなくても平気だった。
苛酷な環境に身を置いていると、精神が引き締まり、それとは真逆のフィクションである映画の世界が、ただのリクリエーション、ただの楽しい運動会みたいなものに思えるのだとか。

12歳のとき、横浜大空襲にあった。
仮設の防空壕に避難するも、なぜかここに居ては危ないと思った。大人たちの制止を振り切って逃げだし、木の上に登って避難した。そこから、燃え盛る自分の家が見え、また防空壕に避難した子供たちがほぼ全員死亡したことを後で知った。
そのとき、自分は今日から子供であることをやめよう、これからは自分の意思でやりたいことをやろう、と決心したのだという。

元夫イヴ・シャンピから教わったことの一つが「卵を割らないとオムレツが食べれない」。
人生には二者択一のときが必ず来て、どちらかを選ぶ決断が必要だという意味。

人生というのは、窓を自分で開け放し、新しい風を入れ、空気を入れ替えることが大事だという。
平凡な日常のなかにも、ある日、ある「非日常」がふと現れる。それをぱっとキャッチすることが大切で、そのことで不幸になったり、波乱万丈が待ち受けているかもしれないが、輝かしい世界が待っている可能性もあるのだから。

パリでは、サルトルやボーボワール、マルローなど知識人や世界的スターと交友関係があった。
番組で紹介された写真の中には、ウィリアム・ホールデンとのツーショットも。
刺身が好きなホールデンのために大皿を用意し、また、その写真を撮影したのはオードリー・ヘップバーンだと言うから驚く。

臨終の際は、ぽっくり死ぬのは嫌だと言う。
せっかく長い間生きてきたので、死とはどういうものか、じっくり体験しながら生を閉じたいのだという。

岸惠子は、間違いなく、日本を代表する女性の一人であろう。
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