想元紳市ブログ

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『戦後短篇小説再発見2 性の根源へ』

戦後の優れた短篇をテーマごとに集めた同シリーズ第2巻のサブタイトルは「性の根源へ」。
坂口安吾や吉行淳之介、新しくは村上龍に至るまで、様々な形の性愛を描いた11作品が収録されている。

本書を最初に読んだのは、ゲイ官能小説を書こうと思い立った2013年頃。
フランス書院やBLの名作、団鬼六や宇能鴻一郎の作品、もちろんゲイ雑誌に掲載された著作を手当たり次第に読みふけった中の一冊だったけれど、あらためて再読してみると、やはりさすがの味わい深さである。

特に好きだったのが、河野多恵子の『明くる日』と野坂昭如の『マッチ売りの少女』。
共に、小説としての面白さはもちろん、ゲイから見て、男性が実に官能的に描かれている点が共通している。

『明くる日』は、子どものいない一組の中年夫婦の日常を綴った物語だ。
肺結核という妻の病気を理由にあえて子供をつくらなかったという事実と、実際は子どもができない体だったという事実の間で揺れる妻・央子と、夫・島田の微妙な関係が描かれる。

央子の視点で描かれるため、島田は脇役ではあるのだけれど、その言葉や行動はとても男性的であり、性的である。

『マッチ売りの少女』は、母親の情夫に強姦されたことをきっかけに、大阪・釜ヶ崎の街娼にまで身を堕とすお安が主人公。
軽い知的障害があり、名前も顔も知らない実父の面影を、自分を抱く男たちにひたすら重ね続ける姿は、せつなくも愛おしい。

父のイメージを重ねたいがため、お安は若い男ではなく、ひたすら中年以降の男を好む。
お安を抱く、大工の継父、ヒモの男、酔っ払いの親父らは、どうしようもなく下劣だけれども、なぜか抗い難い性的魅力を放っている。

日活ロマンポルノの名作『赫い髪の女』の原作として知られる、中上健次の『赫髪』も収録。


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ミレーナ・ブスケツ『これもまた、過ぎゆく』

書評欄で見つけ、特にタイトルが気に入ってメモしてあったのが本書、『これもまた、過ぎゆく』。

スペイン在住の編集者・ジャーナリストであるミレーナ・ブスケツが小説家として発表した長編二作目だという。

ブスケツの母も、フランコ政権時代に自身の出版社を率いてリベラルな言論活動を行っていた有名な編集者。本作はその母の死に伴う喪失感、愛憎入り混じる複雑な感情を記した自伝的要素の強い小説である。

主人公は、母の葬儀を終えたばかりのバツ2のシングルマザー、ブランカ。
元夫二人、それぞれとの間にもうけた子供たち、女友達、現在の不倫相手など様々な人間関係が入り混じる日常が綴られる中で、主人公がたびたび「あなた」と二人称で呼びかける相手が、亡き母親だ。

「わたしの友だちや子どもたちの愛を全部合わせても、あなたの不在という衝撃には充分といえない。(中略)女性のほとんどは男性に父親像を探しもとめるものだというけれど、わたしはあなたを探している。あなたの生前でさえそうだった」

主人公の性的奔放さに眉をひそめる読者も少なからずいるという。

「死の反対は生ではない、性だ。そして病魔がより激しく容赦なくあなたを侵していくにつれて、わたしの性的関係も激しく容赦なくなっていった。まるで世界中のあらゆるベッドで、ただひとつ、あなたの戦いだけが展開されていたのだとでもいうように。わたしたち絶望した者は絶望的になってセックスするんだとわかりきっている」

そうして語られる主人公の恋愛観には、それなのに、なぜか共感してしまう普遍性がある。

「ラブストーリーに後退はない、恋愛関係はいつでも一方通行で後戻りできない道路だ」

「わたしたちの見るものは自分がどんな存在かを完全に表わしている。そして本能的に自分と同じものが見える人を愛する。そういう相手は即座に識別できる。(中略)わたしたちが考えることはそれほど重要ではなく、肝心なのは見えるものだ」

タイトルは中国の昔話に由来する、母の教えである。
一人の皇帝が国中の識者を集めて、”どんな状況でも必ず使える短い文を考えよ”との命令を下す。
そしてある賢者の答えが「これもまた、過ぎゆく」だったのだという。

”苦しみや悲しみは過ぎていくものよ、幸福感や満足が過ぎていくように”という母の教えを、しかし、主人公はあえて否定する。

「今、わたしはそれが真実ではないのを知っている。わたしは死ぬまであなたを失ったまま生きていく。愛着を抱くことの唯一のかたちとして、あなたはわたしの心を矢で貫いた」

終盤のこの言葉に、主人公の再生の光を自分は見た気がした。


春日太一『鬼才 五社英雄の生涯』

1992年に63歳で他界した映画監督・五社英雄の評伝。

とはいえ、生い立ちなどプライベートの部分はごくわずかで、大半は、フジテレビに入社してから亡くなるまでの仕事ぶりと、作品の裏話で占められている。

それなら、タイトルは『五社英雄の仕事』でよかったのでは、と思う気持ちは、中盤、一気に消え失せる。

どうやら、五社の代表作とも言える『鬼龍院花子の生涯』になぞらえたものであること。
そして、妻の借金と一家離散、実娘の瀕死の交通事故、本人の銃刀法違反による逮捕など、自殺すら考えた人生どん底の最中、壮絶な再起をかけて取り組んだ作品が『鬼龍院』だったことに圧倒されるのである。

反対意見を跳ね除け、監督に五社を後押しした、原作者・宮尾登美子の言葉。

「テレビ映画撮る人ならば、普通のサラリーマンでも大丈夫かもしれない。でも映画撮る人は、修羅場を見た人間でないと出来ないんじゃないかという気が前からありましてね。五社さんがつらい期間を経てこられたということで、ものすごく期待するものがあったんです」

修羅場を見た人間に対する強い思い入れは、五社自身も同様だった。

映画『陽炎』で、準主役に決まっていた荻野目慶子。ところが、撮影直前に自身のマンションで恋人が首つり自殺する。降板を申し出た荻野目を、むしろ積極的に推したのが五社だった。

「それを乗り越えてこの役になりきって入ってくれるんだったら女優荻野目慶子として非常に興味がある」

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破天荒な生きざまで波風も多かったが、不器用な男気溢れる魅力と、人間の本質を見抜く鋭い眼で周囲を虜にした五社。

印象に残った、例えば次の二つのエピソード。

三島由紀夫を説得し、映画『人斬り』に出演してもらった際、役作りについて質問された五社はこう答えて、あの三島をもうならせたという。

「テロリストとしたら一種の狂気じみたあなたの目だ、目のエネルギーだ、どう見てもあなたの顔の骨相は犯罪者だ」

また、雑誌のインタビューで一番印象に残っている女優は誰かと聞かれ、

「夏目雅子さん。あの人の魅力はね、暗さの中で明るく振る舞う、それに尽きますね」

五社は、強面な風貌だけでなく、『陽暉楼』の撮影中、自らの背中一面に刺青を入れていた。また、『吉原炎上』や『肉体の門』など、ある種ゲイ的な感性をも持ち合わせていた五社。

濡れ場を撮影するとき、五社は助監督相手に、自ら裸になって見本をみせたという。まず、自身が女の役になって助監督に攻めさせる。続いて助監督を女優に見立て、男の側の動きを演じてみせる。

想像するだけで、官能的だ。

五社の前では、多くの女優がヌードも厭わなかった。しかし、五社は描きたいのは裸ではなく人間の毒だとし、こう続けた。

「毒は、人生の中心にある。中心、ヘソから大きな渦みたいなものがグルリグルリと回り始める。それを見据えたい」

今の日本の映画界で、こういったタイプの監督は思いつかない。


林真理子『RURIKO』

「RURIKO」とは他でもない、昭和を代表する美人女優の一人であり、70歳代後半になった今も現役で活躍する浅丘ルリ子のことである。

著者、林真理子の言葉をそのまま借りれば、「『RURIKO』は評伝ではなく、小説家としての私が浅丘ルリ子という女優さんの半生にアプローチをした作品」。

つまり、全て実名で登場する、限りなくノンフィクションに近い形でありながら、心象風景や会話には、著者の創作が存分に盛り込まれた内容となっているのである。
そのため、実際、浅丘本人と多くの時間を共有し、一緒に旅をしたこともあったらしい。

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大蔵省の高級官僚だった父の仕事の関係で、満州国に生まれた信子(ルリ子の本名)。当時から類まれなる美少女として知られ、帰国後15歳で映画デビュー。数々の作品に出演し、やがて日活の看板女優として人気を博する。

もちろんルリ子の半生が小説の柱である事に間違いはないのだが、全編を通して登場する4人の有名人がいる。
ルリ子が生涯愛してやまなかった石原裕次郎、親しいつきあいをしていた美空ひばり、婚約寸前だった小林旭、結婚と長い別居を経て離婚した石坂浩二、である。

本書は、ルリ子とルリ子が関わる4人の大スターが織りなす物語だと言ってもいい。

とりわけ昭和の芸能界を代表する二大スターである裕次郎とひばりに割かれるページは多く、さながら昭和芸能史としても面白い読み物となっている。

浅丘ルリ子本人は、確かに押しも押されぬ大女優であるにもかかわらず、代表作は?と問われると意外に即答できない人が多いのではなかろうか。
「渡り鳥シリーズ」のおける小林旭の相手役、『男はつらいよ』のマドンナ、映画通なら『憎いあンちくしょう』など典子三部作を挙げる人もいるかもしれないが、自分は一本も観たことがない。

男性アクション映画が主流だった当時の日活では、女優はあくまでも主役を引き立てる相手役に過ぎず、それは明らかに不幸なことだった。だが、それだけでなく、あの華やか過ぎる美貌が、もしかして様々な役柄を演じる上で、ある種の障害になってしまったという一面も否定できない気がする。

おそらく、そうした事実を踏まえて、林真理子も、以下のような文章を記している。

「自分がいつもこれほど幸せでいられるのは、本当のスターではないからだろうか。それでもいいと信子は思った。自分はおそらく裕次郎やひばりのようにはなれないだろう。つらい宿命も不幸もない代わりに、これほど陶酔するひとときも得られないはずであった。
が、それでも生きていく、と信子は心に決める。老いても、おちぶれても生きていく」

小説の最終章は、裕次郎とひばりの相次ぐ死という形で大団円を迎える。それは昭和という時代の終わりの象徴だった。

そして終盤、ルリ子と4人のスターの物語に、もう一人、若き女優が唐突に顔を出す。
浅丘ルリ子が妹のように可愛がっていたという大原麗子だ。

本作発表から数年後、あまりにも孤独な死を迎える大原麗子。
それを知っている読者は、今も現役であり続ける浅丘ルリ子の存在に、ますます特別な感慨を覚えることになるかもしれない。


勝目梓『あしあと』

『あしあと』は、勝目梓の比較的最近の作品を集めた短編集。
自伝的な内容の『小説家』と『老醜の記』以来、お気に入りとなった作家である。

収録された10の短編に共通しているのは、勝目梓にしてはかなり抑えた官能描写とわずかにオカルトめいた展開。
ただし、オカルトとは言っても、ホラーの禍々しさはなく、人の記憶や強い念、執着といったスピリチュアルな世界だ。

冒頭、『万年筆』の主人公は、一向にペンが進まない中年の兼業作家。
妻は、なぜかセックスの絶頂のときに予言夢を見てしまうという霊感体質の持ち主である。
妻の夢に従い、妻の万年筆で執筆を進めるうちに、作家は万年筆にまつわる遠い過去の女に想いを馳せるようになる。

『橋』の主人公もまた、中年を過ぎた会社員の男。
ある日、家族を捨て家を出ていた父の最期を看取ったという女の妹から一通の手紙が届く。
疎遠だった父の素顔、さらにその女と自分のただならぬ因縁を知る男の心の揺れを描いて切ない読後感があった。

とりわけ気に入ったのが『一夜』。

先妻を病で亡くした54歳の須藤が、縁あって46歳で初婚の節子と再婚する。
節子は、14年もの間不倫関係にあった相手が6年前に他界したという過去を持っている。

「その人が背負ってきたものを知ってみると、楽しみのたわいのなさも深い孤独と寂寥感の顕れか、と思われてくるのだった。そこに寄り添っていきたいという須藤の思いは、彼自身の寂しさが生み出したものだった」

ある日、節子の叔母の墓参り先で、須藤は突然、若い頃、出家していたその叔母と夢とも幻ともつかぬような情交を持ったことを思い出す。

「妻に隠れて不倫をはたらいた夫さながらに、これからは懐かしくて甘やかな隠し事を持つうしろめたさを抱えたままで節子と暮していくことになるのだな、といった思いにつながっていくのだった」

それぞれに秘め事を抱えた大人の男女の成熟した関係が、なんとも甘美で味わい深い。


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