想元紳市ブログ

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『人生にYESと言いなさい~レニ・絶賛と非難の101年~』

NHKドキュメンタリーシリーズ『ザ・プロファイラー』の『人生にYESと言いなさい~レニ・絶賛と非難の101年~』を観た。

レニ・リーフェンシュタールの名を初めて知ったのは、石岡瑛子が装丁した写真集『ヌバ』である。
2003年に101歳で亡くなったが、20世紀を代表する女性の一人であったことに異論を挟む余地はない。

ベルリンの裕福な家庭で育つも、親の反対を押し切って舞踊家になり大成功。しかし、足を痛めて映画の世界へ。
監督兼女優として高い評価を得る。

ヒトラー率いるナチス党大会を記録した『意志の勝利』とベルリン・オリンピックを記録した『オリンピア』は共に傑作として世界的な名声を得るが、ドイツ敗戦と共に、ナチに協力した映画監督として死ぬまで批判を浴び続けることになる。

失意の20数年の後、70歳を過ぎてアフリカのヌバ族を撮影した写真集を発表し、写真家として再起する。
98歳のときには、取材先のアフリカ・スーダンでヘリコプター墜落事故に遭遇するも、奇跡の生還。
100歳で半世紀ぶりに映画を監督するなど、生涯を通して挑戦することを止めなかった。

「20世紀を4度生きた」とも言われる半生。
映像でみる、とても100歳とは思えない美しさと気高さは、そのまま彼女の生きた年月が形作ったものだろう。

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決して途絶えることのなかった世間からの非難に対し、インタビューでこう答えている。

「一体どう考えたらいいのです? どこに私の罪が? 『意思の勝利』を作ったのは残念です。あの時代に生きた事も。でもどうにもならない。決して反ユダヤ的だったことはないし、だから入党もしなかった。言って下さい、どこに私の罪が?」

番組中も、コメンテーターの大学教授や映画プロデューサーが、「やはりレニは一言謝罪すべきだった」と述べているのに対し、現代アーティストのスプツニ子!のコメントが最も共感できた。

「その世の中で何が正義で何か悪であるか、この時代のようにいとも簡単に正義と悪は入れ替わってしまう。その時代に正義だから、この時代に悪だから謝るというのはアーティストとしてできなかったのでは」

言うまでもなく、歴史や善悪は常に戦勝国(勝者)の立場から正当化される。
それはドイツ同様敗戦国の日本でも、昨今の国際関係を見ていれば明らかなことだ。

死を前にしたレニの言葉が強い。

「どんなことがあっても人生にイエスと言うこと。どんな不運に見舞われても、人生を愛し肯定すること」

 

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『あまちゃん』その2

あまちゃん』も、ついに最終回を終えた。

途中やや退屈だと思ったこともあるが、こうして終わってみるといいドラマだったとしみじみ思う。

個人的にクライマックスだったと思うのは、アキが『潮騒のメモリー』を新しく録音するシーンである。
お手本を見せて歌う春子と、訪ねてきた鈴鹿ひろ美が、ついに封印されてきた過去に向き合い、邂逅へと至る。

長い間、ずっと自らを苦しめ、拘り続けてきたものが、たった一言であっけなく消えていく不思議。
謝罪と赦し、その後にやってくる安らぎが二人の顔に浮かぶ。
春子とひろ美、さらに太巻の、それぞれの過去が清算される、せつない名場面だ。

主人公はもちろんアキだが、実は、春子とひろ美の生き方こそが、本当の意味で、ドラマの柱だったのではないかと思う。

夏、春子、アキの三世代の女の生き方が時間を越えて繋がり、過去と現在が見事に交差するドラマのテーマは最後まで貫かれる。
三人の名前には、そんなテーマが暗示されているのだ。

鈴鹿ひろ美が「三代前からマーメイド」と歌詞を替えて歌ったことは、大団円の締めくくりに完璧なまで相応しいものだった。

春子とひろ美が春子の部屋で語り合うシーンと、アキとユイが駅の待合室で会話するシーンのカットバック。
様々なことを乗り越えた大人の女性二人が辿り着いた場所……。
未来も未知数の若者二人が夢見ているもの……。

アキとユイが手を取り合い、線路を走り、トンネルを抜け、防波堤を灯台に向かって駆け抜けるラストがいい。

中年のゲイとしては、スーザン・サランドンとジーナ・デイヴィスを思い出したりもする。

『テルマ&ルイーズ』では、二人は最後、追い詰められてなお自由のため、手をつないで崖からダイブし死を選ぶのだから、全く無関係の物語ではあるのだが、アキとユイが、これからいよいよ現実の大人の世界に踏み出すという意味で、二人手をつないで太平洋にダイブしたってよかったのに、とすら思う。


『あまちゃん』

大人気の朝ドラ『あまちゃん』。

折り返し地点を過ぎ、東京編もここ数週間、様々な秘密が解き明かされて、いよいよ波乱の展開だ。
今朝はついに鈴鹿ひろ美と春子がご対面。

脚本、宮藤官九郎のフェティシズム、おそらく80年代のアイドルやTV番組・映画好きであることが密かに盛り込まれたストーリーは、いい意味で朝ドラらしさを失い、一味違う面白さをもたらした。

舞台の台詞回しのようなシーンは、ドラマというよりコントに見え、ときに、あざとさを感じることもある。
しかし、おそらく宮藤の長所であり欠点でもある、テンポのいい会話の応酬劇は、15分という短い時間に見事にはまり、独特のユーモアを生んでいることは確か。

そして、なんといっても過去と現在の絶妙なカットバックは、このドラマの肝である。
夏と春子とアキの、三人の女の生き方が時間を飛び越えて影響し合う。
過去と現在は繋がっているという当たり前のことが、15分の中で鮮やかに描かれる。

ドラマが成功した、最大の理由の一つが、キャスティングにあることは言うまでもない。
とりわけ、アイドルを描く物語を支える二本の大黒柱に、小泉今日子と薬師丸ひろ子という、当時の歌謡界と映画界を代表する、本物の二大カリスマアイドルを配置したこと。
それぞれが北三陸と東京でしっかりとアキのそばに寄り添っていることは、なぜか不思議と安心感を感じさせる。

残すところあと二ヶ月。

奈落のGMTが華々しくデビューできるのか、アキが見事にアイドルになるのかは、正直どうでもいい。
やがて、東北を襲う大震災。
そのとき、北三陸の美しい海岸や町の人々のハチャメチャだが幸せな日常が、一瞬であっけなく破壊されてしまうことを、我々は知っている。

軽やかに紡いできた物語が、悲劇をどのように描き、アキはじめ周囲の人々がどうやって受け止め、乗り越えていくのか、自分の興味は、今やそのことに尽きる。

 

『鬼女』

数年ぶりのドラマ出演になるという、藤山直美を主役に向かえたスペシャルドラマ『鬼女』。
今や観るに堪えない出来の二時間ドラマばかりだが、さすがに見応えがあった。

鬼と呼ばれた結婚詐欺師の女、三崎真由美。
複数の男から大金を騙し取り、二人を殺害した容疑で逮捕されるのだが、本人は一貫して殺人を否認し、真相は闇の中。
とくれば、誰もが記憶に新しい、世間を賑わせた実在のあの事件がモデルである。

留置場で、被告の真由美と、フリーライターの女が面会する冒頭のシーンがいい。

「騙した男なんか一人もいてません。私はただ、あの人らに愛されてしもうただけや」

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実際の事件と同じく、なぜたいして美しくもなく、デブの平凡な中年女に、何人もの男たちがすんなりと騙されたのか。
疑問を抱えたまま、真由美という女の奇怪な魅力と闇が、次第に解明されていく。

文句なしの藤山直美を中心に、藤山と共演できるならと出演を快諾した女優たちが、競うように熱演を見せる。
フリーライターを夏川結衣、検事を田中美佐子。
そして、被害者の男の娘を演じた小池栄子、真由美のやさぐれた旧友を演じたキムラ緑子も、強烈な印象を残した。

特に法廷で証言に立った小池の演技。
真由美の言い草に激怒し、「ブス!ブス!」と絶叫して暴れるシーンは凄まじいまでの迫力だ。

真由美と対決する女検事は、ドラマのもう一人の主人公である。
浮気の疑いがある夫との関係は最悪、かたや検事の仕事も行き詰っていて、今回の裁判はある意味崖っぷち。そんな満たされない生活が、真由美によって、逆に露わに晒されるのである。

一人の女として果たしてどちらの方が幸せなのか、二人の立場が逆転していく心理劇が見事だ。

「私、今までたくさんの男性を幸せにしてきました。検事さんもご主人を幸せにしてあげてはりますか?ちゃんと夫婦生活してはりますか?」

「愛されない女は、ほんまに不憫や」

田中美佐子は、珍しく感情的な演技を見せるのだが、できれば『疑惑』の桃井かおりに対する岩下志麻ぐらいの貫禄とどす黒さが欲しかった。

さらに、ドラマのもう一つの見どころは、事件のスキャンダラスな報道の中で、わかりやすい善悪と美醜を追い求めるマスコミとそれに踊らされる大衆の浅はかさが、図らずも浮かび上がってくることである。

「あたしでもホンマのあたしのことわからへんのに、なんでみんな簡単にわかったって言うんでしょうねえ」

みんなとは、ドラマを観ている視聴者でもあり、そんな我々を真由美は嘲笑っているかのようである。


『マツコ・デラックス“生きる”を語る』

今月、NHKで複数回に渡って特集しているセクシャル・マイノリティーについての番組。
その目玉とも言うべきハートネットTV『マツコ・デラックス“生きる”を語る』を観た。

マツコが憧れの女性の一人だと公言する、元NHKアナウンサー加賀美幸子をインタビュアーに迎えての対談30分。
自身のセクシュアリティーについて、生き方について、難しいと言いつつも真摯に何とか言葉で説明しようと試みるマツコは、他の番組で見る毒舌と本音と皮肉に満ちた姿とは一味違う。

前半は子供時代と家族について。
後半はマイノリティーとして生きることについて。

人は他人を真には理解しえない、人間は「男」「女」というだけの単純なものではないということを理解してくれさえすればいいというスタンスは、いわゆるゲイリブ的な立場とは一線を画す大人の良識を感じさせる。

特に、孤独と死について語ったくだりは、100%共感する。

「誰かのために生きたという気持ちを持って死ぬのと、自分のためだけに生きたと思って死ぬのでは、全然ちがうのではないかと思う。結婚とは、お互いに支え合って生きていくということの血判状のようなもの。それが自分にはない。子育てをしたというだけで、その人は世の中に貢献したと堂々と言っていいと思う。しかし、それも自分にはない。だとしたら、パートナーも子供も持たない自分にとって、それらに代わるものはなんだろうと考えてしまう」

今や、日本のテレビ業界で、頂点を極めたとも言ってもいい活躍ぶり。
マツコはしばしば「テレビに魂を売った」と自虐するが、その意味するところは実はとても誠実なものである。

民放ゴールデンタイムで看板を張るということは、言いたいことも言えず、逆に、主義に反しようと言いたくもないことを言って、様々な妥協と迎合をしなければならないということは言うまでもなく当然。
そのことのストレスと呵責を人一倍感じているのはマツコ自身だと思う。

おそらく、マツコが最も素に近い顔を晒しているのは、世に出る契機にもなった『5時に夢中!』である。
この番組のマツコは、毒舌を通り越して、ときにあからさまに不機嫌。
それは例えば、実家に帰ったとき、やたらと身内に不機嫌に接してしまう感じに似ている気がする。

全国ネットの人気番組における、愛想笑いや迎合、媚びを、誰も責めることはできない。

本人の打算とはかけ離れたところで、周囲によって知らず知らずのうちに前面に押し出されてしまっていることに気づいた時、マツコは、もちろん食っていくための仕事として、サービス業に徹することで自分に折り合いをつけたのだと思う。

とはいえ、ゲイとして、幸か不幸か、社会に対しこれだけの発信力を手にしてしまった今。
これからはタブーと言われていることにも切り込んでいってもらいたいと思うが、それは一視聴者にすぎない傍観者の身勝手な願望だろう。